麻植郡
知ってる人は偉業を知ってる。知らない人は全く知らない。(笑)まずは知らない人へ、小杉榲邨(こすぎすぎむら)という人物のご紹介。徳島藩の陪臣の子として生まれる。通稱は五郎、號は杉園(さんえん)。藩校で漢學経史を學び、古典の研究に専念し、本居…
夜も更けてきたので今回は短めに… 天日鷲命と同郡に鎮り坐す天村雲神。 板野郡に鎮り坐す大麻比古神と葦稲葉神。 これらの神々は皆、阿波の国魂 大宜都比売命に従い、共に伊勢の国より移らせ給いし神也。 いづれの神も伊勢国に由緒有り給うことを知るべし。…
美郷村種野の稲荷は美郷村と木屋平村を合わせた種野山荘の総氏神でありました。この神は遥かな昔に樫の葉に乗って天降ってこられたそうで、そのため川向こうを「樫の葉」と呼び、神様が降りた石を「影向石」と呼んでいたそうです。 「樫の葉」の地名は明治…
本業が繁忙期真っ只中で古文書を読み解く集中力も湧かないので、かつて忌部大神宮が鎮座していたと伝わる高越大権現(高越寺)をぶらぶらしてきました。 吉野川市山川町から高越山に入ります。 先月までは積雪や路面凍結で車での進入が危険な状態でしたが今…
今回は誰も知らない、本当にあったことさえもわからない忌部の民が活躍する前のお話。たまには記紀から少し距離を置いて考えてみてもいいかななど思いまして… 麻植郡の山塊や、傍らに流れる河川は太古の昔より大きな変化を伴いながら現在に至り、神代の昔、…
ちょっと気にて調べてみれば驚きの連続だった剱山大権現縁起。こちらは明治十二年、神山村の三日月家(粟凡直一族)たる粟飯原氏によって記録されたものです。 何故に高越大権現の昔話を一宮大明神氏子が書いたのかはわかりませんが、書いている内容から推…
大阿波女神は当国開闢の大神あらせしなりにて経営の初は粟を蒔き給いし神勲も有り給う由は此の姫紛れなきなり 天日鷲神も大阿波女神も御兄弟なる由動かざる考えなり 按ずるに阿波女神、天日鷲神、大麻比古神 この三神は同系の神等なり 引き続き大宜都比売命…
え~、過去に忌部神社の本社地をめぐって忌部系統の神社が「我、由緒ある本社地である。」と各々が名乗りを挙げて揉めに揉めた騒動が起きていたのはご存知でしょうか。 (知らない方は下の引用で確認してください〜。↓↓↓ ) 『延喜式神名帳』に載せる「阿波…
今回は私の稚拙な想像レベルの話ではなく、毎回キレッキレの考察でとてもわかりやすい"乃良根公(のらねこぶるーす)氏"の文言を借りて話を進めさせて貰います。 http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues 乃良根公氏が綴る超有名blog 「空と風」。 阿波古代…
久しぶりの山崎 忌部神社です。 真後ろからパシャリ。 さて、大宜都比売命関係が続いたので今回は忌部関係で。(笑) 今回は知ってる人は前から知っているであろう青樹社(あおきのもり)がテーマ。 awa-otoko.hatenablog.com 山崎 忌部神社を東に出て谷に沿…
麻植塚には面積約五坪、高さ三尺位の古墳のようなものがあって「麻植の神塚」と呼ばれている。塚の上には今倉某の石碑が数基あって、付近の地名を塚西、塚東と呼び、忌部の氏人 今鞍進士(いまくらのしんし)の祖を祀った所と伝えられ、付近に今倉姓があり、…
(船窪ツツジ公園から剣山を望む) (手前が高越寺) 奧野々山(おくののやま)は、徳島県吉野川市にある剣山系の山である。標高1,159m。麻植郡山川町に聳える山であり、高越山の南側約3Kmのところに位置する。高越山と奥野々山の間には船窪ツツジ公園があり…
木屋平村 森遠名に鎮座す正八幡(森遠八幡)神社は應神天皇、仁徳天皇を祀る。祠中偃月刀及び古冑を蔵し、阿部宗任の所持せし由来を傳ふ、又金昌描く處の歌仙圖及び大般若経を蔵すと。正八幡神社はもともと森遠城址であり、平宗本此に據り、松家越前守と称し…
今年もやってきました。剣山 例大祭。 でも起きてみたら 雨… 雨… 雨… とりあえず見ノ越まで行ってみようと車を走らせ、今年はリフトで西島駅まで登ります。 西島駅から大劔神社、御神水(おしきみず)までてくてく登り、口を潤してから一気に頂上まで登りま…
ちょっと前に二回も探索して見つけられなかった雀嶽(大岩さん)の場所を絞り込めたので、三回目の正直を信じて行って参りました。 <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/06/07/022102" data-mce-href="http://awa-o…
(雀嶽と推定していた大岩:詳しくは後述) 川島町桑村と学の境の山中に、世界でも珍しい「紅廉片岩」という美しく赤い大岩がある。この岩は今は「雀嶽(すずめだけ)」と呼ばれているが、大昔は「鈴連嶽(すずろだけ)」と呼び、川島郷と忌部郷の境界の目印…
阿波忌部氏は太古から天皇が即位のときは麻から麁服(あらたえ)を織り、践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)に貢進してきました。麁服の貢進には阿波忌部の直系である三木家が関わり、御衣御殿人(みぞみあらかんど)として朝廷と深い関係を保ってきたので…
昭和51年(1976)、台風17号が停滞して豪雨をもたらし、木屋平村の富士ノ池、谷の両側山腹の地滑りが著しく山津波となって垢離取川になだれ込みました。 斜面が崩壊することによって河川が堰き止められて湖ができることにより発生し、水がたまり続けて限界を…
奥野山権現(高越寺奥の院)のもとにあり、直下五十間もあるらし、幅三五尺宛の滝六流並び落つ、中程の所にて各厳に触れ分飛して九筋となる、激水の玉屑さながら嶛々たる山の腰に雲たなひくがごとくで、滝つぼの浪は花の散り積りたることなことならず、飛流…
今回は倭建命(日本武尊)のお話。 古事記と日本書紀ではストーリーに若干違いがみられます。 記紀の内容を別々に引用してみました。 【古事記】父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の違いから、小碓命は素手で兄をつまみ殺してしまう。そ…
善入寺島は吉野川の河口から約30㌖付近にある広さが約500㌶の川中島です。 昔は「天日鷲(アメノヒワシ)命」が坐す神の島、「粟嶋」と呼ばれていた聖地であります。 その「粟嶋」、大正四年に吉野川の第一期改修によって遊水池として全島買収され、島の名前…
(多祁御奈刀弥神社) 建御雷神が大国主神に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主神は御子である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾すると大国主のは次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその…
「桑村山の麓にあり、俗に日命大明神、今は伊加加志大明神、野老傳へて曰く、桑村の河邊に大竹藪あり、その地をイカカシと云ふ、今は川となりて、田少しのこれり、昔し是地より山ノ麓へうつしたりと、その時より日命と號す、近代、神官イカカシト改むものは…
忌部氏は天太玉命を祖とする神別の古代氏族。 「忌部首(いんべのおびと)」「忌部連(いんべのむらじ)」「忌部宿禰(いんべのすくね)」のち「斎部宿禰」姓を称した古代朝廷における祭祀を担った氏族であります。 その忌部氏の祖である神々を祀った「山崎 …
麻植郡旧森山村役場の西南に「一町地」と呼ばれる場所があります。 土地の人の口碑によれば、麻植保司職 平康頼の葬場の地であるといわれています。 それが理由かどうか分かりませんが、昔からその地に居宅を建築すると凶事があるという伝承が残っているた…
知らない人はいきなりのタイトルで驚いたかもしれませんね。 それでは高越山、山頂付近にある寺社について簡単に説明してみましょう。 高越寺 木綿麻(ゆうま)山三番地。山川町の西南、高越山(1122m)の山頂にあり。 寺の開基は役小角による。また弘法大師…
徳島県吉野川市鴨島町森藤に「康頼神社」鎮座しています。今回は「平康頼」とその血脈について書いてみたいと思います。 治承元年、大納言藤原成親、法勝寺執行俊寛等と平清盛の専恣を憎んで、密かにこれを滅ぼそうと謀って事露れ、成親の子、成経及び俊寛と…