阿波井大明神 隠された廟
阿波井大明神
awa-otokoです。今回は長々と書きませんよ。上記に示した通りです。もともと阿波井神社があった影谷には粟凡直の廟があったそうです。
ソースは小杉椙邨が残した資料から。当社の祭神が大宜都比売命と天太玉命であるヒントと捉えて良いと思います。
阿波氏族を示す文字資料として902(延喜2)年、律令に基づいて書かれた平安期の「田上郷戸籍断簡」がある。氏族の多い順に凡直、粟凡直、家部、物部、服部、矢田部、海部、秦、宗我部、綿部、建部、葛部、忌部、飛鳥部、上主寸、伴、許世部で、当時板野郡で位階を持っていたのは郡領の粟凡直と凡直、忌部である。古代から平安期においても板野郡域に粟凡直・忌部が多く居住したのは海が近く、岐(港)になる場所の条件が良かったこと。都を大倭に移した後も交流が盛んであった。阿波井神社からの粟凡直・忌部氏族の動向は、兵庫県南あわじ市に当社分霊社の阿波井神社が鎮座する。そこから大宜都比売命と天太玉命(天日鷲命)を追えば何らかの手掛かりは出てくるでしょう。興味がある方は調べてみてはいかがですか?