阿波国以外
どうもawa-otokoです。今回は阿波男ではなく安房男でいきますよ。なんてそんなことはどうでもいいとして冒頭に挙げましたのは「安房国忌部系」です。(※ちなみに野良猫さん、ぐーたらさんも過去記事で「安房国忌部系」を使用されていることを作成後に気付い…
七十七代後白川院ノ朝保元ノ乱ニ新院ノ軍破レテ讃州ニ還サレ玉ヒ藤原頼長家司藤内左衛門範景入道シテ蓮心法師ト号讃州ニ来リ白峯ノ御墓ヲ拝シ草庵ヲ結御菩提ヲ弔フ処河野大領高遠ヨリ障ルノ義アツテ 阿波ヘ移リ当寺ニ寄宿シ三ヶ峯ノ神社ニ新院ノ御霊ヲ神ト仰…
都佐國造モ粟國造ノ如ク女祖神ニ仕へ奉ル欤亦ハ都佐㘴神社ニ並ヒテ溝杭姫命之御社モ在ル可キニ未タ聞カズ同郡朝倉神社ニ后神天津羽羽神鎮リ㘴スヲ見レハ都佐國造ハ 味鉏高彦根神后神天津羽羽神夫妻 ニ神ヨリ出タル系也(天津羽羽神 三嶋溝杭姫命共ニ味鉏高彦…
はい。今回は三好の箸蔵寺。讃岐金毘羅さんとは深い深い関係にあって古より奥之院とされております。(結構距離が離れているのにね。) ちなみにawa-otokoは大國主命と少彦名命が伊豫国の道後温泉への行幸途中に立ち寄った場所の一つが箸蔵寺だと考えていま…
石井町諏訪には式内社阿波國名方郡 多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社が鎮座しております。 御祭神は「建御名方命」です。こちらは過去に紹介させて頂きました。 改めて読んでみますと、建御名方神の説明より高志の沼河姫についての説明が主であって建御名方…
昔、千葉(せんよう)の蓮の花の咲き誇る池田の池という美しい池があり、いつのころからか夜になるとそこに天女が舞い降りていた。松の枝に羽衣をかけ、蓮の花に見に来ていたのである。このことを時の城主であった平常将(たいらのつねまさ)が知るところと…
(源平屋島古戦場跡 那須与一が扇を射た岩) 阿佐家の先祖は門脇殿と呼ばれていた従二位中納言 平教盛の二男、従四位越後守 平国盛である。国盛は讃岐の屋島の浦(壇ノ浦)の戦いに敗れた後、阿波の祖谷に逃れて住んだ。祖谷に逃れた平家に以下のような伝承…
(大坂峠から奈仁輪を望む) 「奈仁輪(なにわ)」とは、志度岬、小豆島、淡路島、鳴門に囲まれた海辺の総称。 おしてるや 難波(なにわ)の崎よ 出で立ちて 我国見れば 淡島(あわしま) 自凝島(おのごろしま) 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さけ)つ島…
前回は序章だったので屋嶋城(やしまのき)自体の説明にとどまりました。 阿波の大滝山に高安城(たかやすのき)があったが故に屋嶋城が造られたと想定した訳です。が、屋嶋城の頂上には古代より"崇敬される遺物"が存在した形跡がちらほら。 今回の投稿は、…
ここ最近讃岐の情報が多くなり、そろそろ「sanuki-otoko'sblog」にブログ名を変えたら?と言われそうな「awa-otoko」です。 今回も気にせず讃岐国「屋嶋城」にスポットを当てて進めたいと思います。 屋嶋城(やしまのき)とは? 「日本書紀」天智天皇六(667…
阿波古代史ブログの重鎮 ぐーたらさんがやっと重い腰を上げて大宜都比売命について書きだしました。ぐーたら気延日記(重箱の隅):http://goutara.blogspot.jp/?m=1大宜都比売命の解明はぐーたらさんに任せて、こちらはいろいろ手を広げていきます。 大宜都…
阿波国の南北。さらには伊豫の国。断片的ですが大粟大明神の繋がりが見えてきました。今回は千波足尼(ちはのすくね)、即ち粟国造氏族の残した古文書の写しから進めていきます。たまには妄想じゃなく考証もしとかないとね。 大粟大明神古記(写)です。 一…
今回は阿波を離れて小豆島のお話。小豆島に遊びに行ったのは○十年ぶりで、遠い子供の頃に家族で遊びに来た記憶を辿りながら一日観光を楽しんで参りました。もちろん古代史や神社学など抜きで… しかし帰宅してから赴いた場所を調べてみれば、寒霞渓に行って星…
タイミング的にエビスネタがHOTなのでしょうが、ここは敢えて全然関係ないテーマで進めたいと思います。短いお正月休みの中、バタバタしながら淡路島に行ってまいりました。ご存知とは思いますが「淡路(あわじ)」は「阿波路(あわじ)」の事でございます。…
今按阿府志に木頭谷奈井瀬村にあり 俗に十二社権現と號す奈爲ノ瀬村は宇奈爲の上略なり 此邑里正の先祖を木頭忌部正重と云 此家に康正年中の文書あり 當家は永禄年中 三好大状記に宇奈瀬殿と記せり 元亀の田文と云ものにも同じとあるもの宇奈爲神社所在と證…
いやぁ〜、参りました。。。 私的なことですが今迄阿波の神社巡りをした時の記録、写真データが消滅してしまいました。。。(苦笑)みなさんバックアップは確実にしておきましょうね。 という訳で急遽考えていたテーマを変更して、手前味噌ですが今回のテー…
倭迹迹日百襲姫命、都の黒田宮にて幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ、お船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘、今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きとこ…
「日本書紀」によれば、元々倭大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは両神の勢いだと畏れられた。そのため崇神天皇6年、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせたが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて…
阿波井大明神の鎮座する内海(うちのうみ)が神代より近世に至るまでも有名な阿波水軍の一大根拠地。 その根拠地で生まれついて以来、水軍大将の位置にあった武内宿禰。 【武内宿禰】(景行天皇14年 - 没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の人物。『日本書紀…
大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市にある寺院。医王山(いおうざん)遍照光院(へんじょうこういん)大窪寺と号する。本尊は薬師如来。宗派は真言宗大覚寺派。寺伝によれば、奈良時代の養老年間(717年 - 724年)に行基が開基し、弘仁年間 (810 - 823)…