awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

忌部の神塚(吉野川市鴨島町麻植塚 麻植の神塚)

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麻植塚には面積約五坪、高さ三尺位の古墳のようなものがあって「麻植の神塚」と呼ばれている。
塚の上には今倉某の石碑が数基あって、付近の地名を塚西、塚東と呼び、忌部の氏人 今鞍進士(いまくらのしんし)の祖を祀った所と伝えられ、付近に今倉姓があり、今鞍進士の後裔であるといっている。
なお、「麻植の神塚」が「麻植塚」になった説もある。(麻植郡郷土誌より)
 
吉野川市鴨島町麻植塚にやって参りました。
神塚の詳細をお教えする前に周辺の背景を知れば、さらに神塚の重要さがわかると思いますので簡単に紹介しておきます。
 
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東隣りの牛島(うしのしま)
これは「苧師ノ島(おしのしま)」であり、神代に麻をはじめ種々の物を作り初めた神を始め、其の裔(子孫)の人が住んでいるので村なので「大人(うし)の島」と美称して起こった地名であります。
 
西隣りの鴨島(かもじま)
鴨島は昔、麻植の郡で忌部郷であったため「神島(かみしま)」からきており、神島の神の字、島といわんが為の用言でもあるので「加牟島(かむじま)」といっていたのが「加毛島(かもじま)」というようになったと伝わっています。
 
鴨島は浮島八幡宮が鎮座していた善入寺島(宮の島)の東隣りに位置し、昔は吉野川の水量も多く、増水の際は流路が常に変化するために鴨島町、川島町一帯は島が点在するような地形であったそうです。(そのため島の付く地名が多い)
よって、浮島八幡宮の位置が混同されて鴨島町周辺に忌部大社が鎮座していた伝承が残っている可能性も否めません。
もちろん鴨島町忌部氏の活動範囲でしたから忌部の大社が鎮座していた可能性もあります。
それでは「麻植の神塚」の説明です。
 
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 神塚周辺は中世には荘園として栄え、現在でも畑が広がっております。かなり広範囲を開拓したようで神塚が残っているのも奇跡的なことであります。
 
塚として見える形で現存しているのはこの場所のみですが、この地一帯には今倉氏の墓が沢山存在していますので、現存している神塚を含めて一帯が今鞍氏の陵墓群が存在していた状況が窺えます。
このため、この地一帯は「麻植塚」という忌部族 今鞍氏を偲ぶ地名が名付けられたのでしょう。
 
また、神塚は今鞍進士の祖を祀っていると伝わっていますが、忌部族 今鞍氏の末裔は三木家、後藤田家が阿波でも有名です。
 
美郷村 後藤田家の由緒には
「我家は忌部の氏人にて今鞍と称し、紋所は丸ノ内に鷹ノ羽、偉替紋は梶の葉なり。古昔天日鷲尊の御孫天富尊、粟の国山崎に御遷座ましませしとき、忌部の氏人二十六人供奉せし内の一人にて、三木、赤松の両姓と共に忌部の卿を治むる事年久し。天皇大嘗会御親察の節、御用相成る着衣を調達するを本務とす」
とあります。
 
ちなみに今鞍氏のルーツ(祖)とは誰を指すのでしょうか。
もしこれが忌部氏の祖である天太玉命であったら???
または天日鷲命であったら???
 
そもそも鴨島町にある向麻山自体が天日鷲命の御陵という説もありますし、忌部氏.物部氏のルーツに近い神を祀る五所神社も鎮座しております。(五所=忌部神五柱を祀るか、御所の意か)
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「神島(鴨島)」と「大人の島(牛島)」の間にある「麻植塚… 」。
 
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阿波古代史を追う者にとっては重要な場所ですよね。こちらもうちょっと深追いしてみたいと思います。