大岩さんは浮島八幡宮の元地(川島町峰八 雀嶽 )

(雀嶽と推定していた大岩:詳しくは後述)
川島町桑村と学の境の山中に、世界でも珍しい「紅廉片岩」という美しく赤い大岩がある。
この岩は今は「雀嶽(すずめだけ)」と呼ばれているが、大昔は「鈴連嶽(すずろだけ)」と呼び、川島郷と忌部郷の境界の目印とされていた。
北側と西側は百㍍近く切り立った断崖絶壁で、この崖を北に少し下ったところにある洞穴は、西は寒風峠、南は東山、東は二㌖ほど先のま山田の水神の滝まで続いているという言い伝えがあり、さらには大昔に山崎の忌部神社の神が、「あの大岩の上は見晴らしが良いので、あの上に御殿を建てて祀るように」というお告げがあったらしく、往時はこの「鈴連嶽」に祀ったと云われている。
その後、眼下の吉野川の岸に広がる大岩を見下し、「ここは山の上で不便であるから下の大岩に行きたい」とのご神託が下り、再度お宮を移したのが宮の島の「浮島八幡宮」だ。

(宮の島 浮島八幡宮)
忌部大社の比定社である宮の島 浮島八幡宮はもともとは山崎の忌部社から派生した神社であるということが分かる川島郷の昔話から引用。
という訳でさっそく「雀嶽」にアタック。
実は数回現地へチャレンジしていますが「雀嶽」と確信できるものに遭遇できていません。(ならアップするなょと思った? 笑)
まずアタック一回目。
峰八 六地蔵展望台のおばあちゃんに「雀嶽」を質問。

「雀嶽」はわからず、「大岩さん」なら知っていると大まかな位置情報を得る。


昔は周辺の木々を伐採して道の整備をしていたので、六地蔵のお堂(昔はお堂だった)から「大岩さん」は確認できた。今は若い者は下の集落に下りているために「大岩さん」の信仰と周辺の参道の整備を怠っている。
現在は「大岩さん」に行くのは無理と咎められる。
咎められたがさっそく山に入る。しかし山中迷うこと三時間。道なき道を掻き分けてカラダは枝とイバラで擦り傷だらけ。そして一番大変だったのは全身山ダニに噛まれていたこと。
アタック二回目。
山の神神社周辺にいた地元のおじさんに情報を得る。


「大岩さん」で質問すると前回より詳しい場所を教えてくれた。
参道は現在、鹿や猪(稀に人間)が使っている道。
峰八から近い谷と谷の間に「大岩さん」はあるはず。
水が溜まっている窪地まで行ったら行き過ぎ。
たぶん峰ハ古墳が造らた時代からある遺跡なので、現地に行けたら面白いものが発見できるかもよ。とのこと。
やはり今の川島神社に合祀された神社の元社が「大岩さん」と言っていた。
案内してもらった獣道入口から200mほど谷沿いを駆け上がる。木につかまりながらよじ登ると明らかに磐座と見える大岩を発見。これを「大岩さん」と勝手に認識して確認してきた。




前回のアタックでダニに噛まれた悪夢がアタマの中をよぎり深追いを避ける。
帰宅してから「大岩さん(雀嶽)」は紅廉片岩であるということを思い出し、確認したのはおもいっきり緑色の大岩だったことで大いに後悔する。
【一回目と二回目の調査で判明したこと】
⚫︎地元では「雀嶽」では通じない。「大岩さん」で徹せ。
⚫︎川島城下(宮の島)を見渡せる立地条件で紅色の大岩を探せ。
⚫︎道跡にこだわるな。あてにすると必ず迷う。
⚫︎「大岩さん」の北側と西側は断崖絶壁。北側に風穴がある。


(穴は見つけたゼ☆ しかし違う穴だろう)
⚫︎宮の島 浮島八幡宮の跡地は現在残っている池。
ダイナマイトで浮島八幡宮の土台であった大岩を発破した際に穴ができ、その穴に水が流れ込んだのは当然のこと。

(宮の島 浮島八幡宮跡地)

(峰八 六地蔵展望台から宮の島を望む)
⚫︎二回目に行った場所は明らかに遺跡跡(時代の古い美馬の岩陰遺跡にそっくり)磐座を数基確認。必ず近くに「大岩さん」は存在する。

(巨石がごろごろ。木が邪魔w)



次回のアタックでは三回目の正直で「大岩さん(雀嶽)」を確認できるか、仏の顔も三度までで失敗するのか改めて結果を報告したいと思います。
一回目と二回目のアタックでかなり位置は絞り込めましたが、そのほかの勝算はないので成果は期待なしでお願い致します。(笑)