ぶらぶら散策。忌部大神宮跡
本業が繁忙期真っ只中で古文書を読み解く集中力も湧かないので、かつて忌部大神宮が鎮座していたと伝わる高越大権現(高越寺)をぶらぶらしてきました。
吉野川市山川町から高越山に入ります。
先月までは積雪や路面凍結で車での進入が危険な状態でしたが今回はOK!!つつじ公園までどんどん登ります。つつじ公園展望台からは同じ麻植郡だった木屋平村 剣山の姿を確認することができました。
どんっ。参道入り口です。
"これより霊域 先ず合掌"
高越権現と三面大黒がお出迎え。
足腰に自信がない、高越神社と奥之院に行くならここで杖を借りておきましょう。
入り口から10分ほど歩くとビッキビキの雰囲気を放つ場所があります…
参道からは見えませんが、そのテの素質がある人は存在に気づくことができるはず。
御神体の天狗面がさらけ出された社跡。
稀に天狗面の方から存在をアピールしてくることがあるがびっくりしてはいけない。(笑)
ずんずん進みます。
約20分の徒歩で高越大権現の門に到着。
立派な門なんですが写真撮影し難いんですよね…
かなり体勢仰け反っての撮影。。。
高越大権現(高越寺)ですね。
大権現の左にはまたまた天狗さん。下駄を脱いでおります。麓から登ってきた人にはここが終着点ですってことでしょうか。
境内をうろついてから高越神社に向かいます。
ざんねーん、売店は閉まっておりました。
門の左手に高越神社鳥居。
ちょっと勾配がきついですが石段を登ります。
高越神社左手から道を辿れば高越山の頂上。
かつては経塚だった場所に空海像が設置されています。土台の石積みが経塚のだったものでしょうが、コンクリで固められて台無し…
また新しい鳥居が増えたようです。新住職による手書きの扁額。いい感じです。
奥之院到着。
奥之院前には古墳石室入り口らしき石積みが…
以前にイザナミの御陵がこの場所であると投稿しましたが、これについては高越山を拝する位置に伊射奈美神社が鎮座していることしか根拠がないことをとある方より指摘されまして、それもそうだなと考えて直しつつあります。
奥之院 蔵王大権現とあります。
こちらは高越大権現の奥之院でしょう。
あれ?背後にまた高越大権現が…
さらに背後には集落を見下ろす位置に石祠が…
この祠以外は全て東向き。
神仏分離で高越大権現と高越神社に分けてあるにもかかわらず奥之院は神仏が習合しております。
比較的新しい祠でしょう。
ここで引き返します。
帰りは高越大権現の宿坊前に出る道を利用します。
新しい鳥居と道の分岐点を越えると空海が利用した龍の窟がございます。
確かに人が一人雨風を凌げる空間があります。
こちらも窟の中に安置されている龍の像のおかげ?とんでもない雰囲気を醸し出しております。
道をどんどんくだると種穂山が確認できます。
もちろん山崎の忌部山は確認できません。このことから考えても忌部大神宮の遥拝所は種穂大権現であることは間違いないと思います。
境内にでました。
門の前の手水鉢に石像が。後ろのポンプと相まってレトロな感じがいいです。
門をくぐって参道を引き返します。
三面大黒と高越大権現に一礼して参道をでます。
"今日の幸を喜び 感謝して山を下る"
これまで長い歴史の中で"天日鷲"という神名(役職名)が何代にも渡って継承されていることから、天日鷲命の行動を追えば追うほど時系列が混雑してわからなくなってしまうのはある意味、阿波隠し(安房隠し)の罠(トラップ)とも考えられます。
古の姿は隠されてしまっていますが、高越山一帯にはそれがあります。
阿波の古代史を追う方は一度は参拝していた方がいいと場所ですよ。(モノクロ写真は高越山を中心とした忌部氏所以の旧跡。昭和初期の写真)