三好郡
コロナウイルス感染拡大による不要不急の外出自粛要請が全国的に発令されていましたが如何お過ごしでしょうか。今回は安徳帝と関わりがある女たちにスポットをあててみました。(というか書きかけデータをずっと残していたため今回消化するのが目的。)それ…
・:*+..:+ ハッピーメリークリスマス!!・:*+..:+ はい。全然クリスマスには関係がない山城町 田尾城趾でございます。 田尾城は伊予川の右岸、標高四六二メートルの山頂に築かれた山城で南北朝時代に小笠原頼清が居城したと伝わります。 南北朝時代より後は、…
はい。三加茂 横田神社でございます。ちょっと参拝しづらい場所に鎮座しているのは言いっこなし。こちらは阿波国美馬郡延喜式内社 横田神社に比定されている由緒正しい社なのであります。 右社之儀者式内小社ニテ往昔ヨリ横田神社又弁財天トモ称ス、元社地凡…
はい、どうも。awa-otokoです。 以前にご紹介した、かなりキワモノ(失礼w)な神山町の幸福神社をご存知でしょうか。 awa-otoko.hatenablog.com ちょっと調べ物をしておりましたら偶然に見つけてしまっていたのです。もうひとつの「幸福神社」を… 是非とも参…
ヤマト王権が確立してから宮廷祭祀を司った忌部氏と中臣氏。忌部氏は主に祭祀具の製造や調達、管理を行いながら宮殿の祈祷も中臣氏と共に担っていたのは皆さまもご存知の通りです。日本書紀には「中臣連の遠祖 天児屋命、忌部の遠祖 太玉命、相与に致其祈祷…
八百年もの昔、源平の合戦に敗れた平家の武将と安徳天皇。平家物語では最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)と共に壇ノ浦の急流に身を投じたとされています。そして安徳天皇が崩御したとされてから、以下のようなことが世間では噂さ…
はい。今回は三好の箸蔵寺。讃岐金毘羅さんとは深い深い関係にあって古より奥之院とされております。(結構距離が離れているのにね。) ちなみにawa-otokoは大國主命と少彦名命が伊豫国の道後温泉への行幸途中に立ち寄った場所の一つが箸蔵寺だと考えていま…
一宇村の中心である古見から片川谷沿いに林道を進めば木地師の集落 木地屋に行き着く。海抜800から1000㍍の急斜面を耕す住民、その先祖は昔盆や椀の木器をつくる木地師であった。半田漆器の材料を製造していたが、大正時代の末に半田塗りがすがたを消すと和…
阿波西部の山間奥地を開墾した者は地方豪族や源平合戦、南北朝争乱、応仁の乱等の落武者などであったと推察されています。 八つ石城はそれら山岳武士が立て籠もった城でありました。頂上の周囲を三段にきった横掘と攻撃軍が横に連絡できないように造られた縦…
以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦) 上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云…
白地城(はくちじょう)は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国、東の吉野川を下ると徳島平野を中心とする阿波国の中心部、南に吉野川をさかのぼると土佐国と、四国の十字路といえる位置にあった。南北…
寿永四年二月二十一日讃岐八(屋)島の合戦にやぶれた門脇中納言の次男 平国盛公は安徳天皇を守護した奉いながら三好郡の井内谷から祖谷山へ入山した。 国盛公、讃岐八(屋)島より落ち、志度にやどる、義経志度を犯す、国盛兵を引具して讃岐白鳥に引き移る…
三好町昼間の天椅立神社は歴史が古く昼間全体の氏神であります。阿波志によれば、もともとは羽津明神という名で呼ばれた延喜式内社と記録されております。 貞治三年(1368)、雲辺寺の鰐口の銘には「阿波国田井荘、羽津宮… 」とあり、南北朝時代には羽津宮と…
吉良忌部大神宮の元地である清頭岡磐座遺跡に行ってきました。とりあえず吉良忌部神社に関連する過去記事も確認しこれまで背景を把握しておいて頂ければと思います。 吉良 忌部大神宮(御所神社)は式内・忌部神社の論社とされ名乗りをあげました。その他の…
阿波国の南北。さらには伊豫の国。断片的ですが大粟大明神の繋がりが見えてきました。今回は千波足尼(ちはのすくね)、即ち粟国造氏族の残した古文書の写しから進めていきます。たまには妄想じゃなく考証もしとかないとね。 大粟大明神古記(写)です。 一…
前回からの続きです。その壱を見ていない人はこちらからどうぞ。 さて、粟凡直の末裔は忌部大社即ち忌部大神宮の所在地と、これまでの背景を細かく記録しておりました。 今の三好郡は美馬郡という。美馬郡・麻植郡は麻植一郡也。其の後、美馬郡を三好郡と改…
知ってる人は偉業を知ってる。知らない人は全く知らない。(笑)まずは知らない人へ、小杉榲邨(こすぎすぎむら)という人物のご紹介。徳島藩の陪臣の子として生まれる。通稱は五郎、號は杉園(さんえん)。藩校で漢學経史を學び、古典の研究に専念し、本居…
今回は東みよし市の竜王神社。 この神社の雨乞いは必ず雨が降ったと伝えられております。 この地方には式内社「弥都波能売神社」が鎮座しておりました。しかし現在はその所在地が明確になっておりません。 <a href="http://awa-otoko.hatenab…
神領村高根の観音は高根に在り、高根と云所は昔平氏の党逃篭りし所也、一里斗山上に人家十余軒あり、この山上に観音堂あり往古より有りしと也、蓋し平氏の徒これを建てるが霊験ありて参拝多し皆平家の苗胤と云、昔の兵器を家に持伝えたりしが近世一人の山伏…
日本書紀では大海人皇子の后 高天原広野比賣天皇(のちの持統天皇)が、たびたび吉野宮に訪れたことが記されています。吉野宮とは阿波での美野(よしの)。現在では、美野が三野と変わり三野町となっております。その三野(美野)町 加茂宮にある瀧寺が吉野…
賢見神社は犬神憑きを落とす日本随一の神社として有名。阿波の限定された地域には、昔からの「犬神信仰」が根強く残されております。 【犬神について】犬神は、犬神持ちの家の納戸の箪笥、床の下、水甕(みずがめ)の中に飼われていると説明される。他の憑き…
所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)。 崇神天皇です。 以前に書いた「大国魂神社」の記事とかぶるところもありますがご容赦下さい。(ボソっ。。。) <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/18/223725" data-…
「三代實錄」貞觀十四年十一月ニ十九日の條、阿波國六位伊比良咩の神に從五位下を授く」とあるのはゑいら祖母(みこ)の宮(やしろ)なるべしといへり。 はい。過去に掲載した「伊比良咩」は「ゑいらみこ」らしいです。 阿波の秘境と云われる祖谷の開拓者、…
美馬郡西端山に吉良の御所と云ふ所あり、上世に天日鷲命御馬を逗めさせ給ふ御古跡なりと云伝ふ、此の所に鈴生の梅(子重紅也)実なしの藤あり、馬が岡とて大なる龍馬石馬蹄石あり、又麻釜と云所ニ所あり、さて御魂所とて山上に二ヶ所一丈四方計の平石を敷て…
加茂村 加茂明神の背に神通峯と云あり、十八丁登り龍王の滝といふあり、飛流十間余り滝壺自ら池なして径七八間計、青碧の淵となり溢れ流る傍に龍王の祠あり、早魃の時雨乞に百姓百人簑笠を着し鉦、太鼓を鳴らし此の汀を踊りめぐる、感応あれば神霊奇瑞を現は…
徳島県美馬市穴吹町宮内に鎮座する白人神社。御祭神は伊弉冉神、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、天照大神、豊秋津姫命、崇徳天皇、源 為朝侯。 ☝︎白人神社(宮内)御祭神の一柱である「源 為朝」について、白人神社には以下の伝承が伝わっています。源為朝 - W…
三頭峠(三頭越) とは徳島県美馬市と香川県仲多度郡まんのう町の境にある峠。 峠は金比羅参りに頻繁に利用されていたため、いつの頃からか金比羅宮の奥の院的な存在として参拝されるようになった「三頭大権現(三頭神社)」が鎮座しています。 三頭山は「剣…
半平山平谷より杖立峠に登る山麓に石尾神社あり、土俗石堂ハンと稱す、社の兩側に一大岩の屏立するあり、東西四十間南北一町高さ十五間、此岩裂けて二ヶ處の洞穴あり、一を金鷄風穴と呼び穴の奥に金鷄を藏すと傳ふ、一は頰面風穴と稱し、いづれも土人により…
西日本第一の性器神 「お花大権現」 三加茂町 中ノ庄 真言宗宝光山文殊院 「林下寺(りんかじ)」の本堂にご本尊「文殊菩薩」と共に祀られています。 それでは一般では伝わっていない「林下寺」の伝承を紹介しましょう。 この寺は昔、林閑寺( リンガー寺 )と…
徳島県美馬市脇町字西赤谷898に鎮座 この「山彦大明神」、阿波では一風変わった由緒と伝承を残しています。 表向きの祭神は金山毘古命(神話に出てくる鉱山の神)とされているがこれは仮の名で、実は伊勢伝左ヱ門という稲田力郎兵ヱの家臣を祭ってある。通称…