天日鷲の神殿跡 青樹社(あおきのもり)
久しぶりの山崎 忌部神社です。
真後ろからパシャリ。
さて、大宜都比売命関係が続いたので今回は忌部関係で。(笑)
今回は知ってる人は前から知っているであろう青樹社(あおきのもり)がテーマ。
山崎 忌部神社を東に出て谷に沿っていくと古木叢生している社を確認することができます。
忌部摂社の玖奴師神社です。
古来はこの場所に忌部大神が好んだ「をがたまの木」が根を張り、年中緑陰をつくっていた忌部廟所七ヶ所の一つであります。
「をがたまの木」は文政末期に朽ちて倒れたらしく、神主 秀俊が京都にいた頃、京都吉田殿御内神祇権少副殿に「をがたまの木」が朽ち倒れたことを語ると大変惜しんだそうで、日向国より苗木を取り寄せて「をがたまの木」があった傍に移植をしたとのこと。
移植にあたり権少副中臣連胤は以下の歌を詠んで寄せられております。
天日鷲命をかくしまつりし処なるみけむかふ阿波国忌部山隠谷に有し、をか玉の一本はくぬち(国内の意)に類なき霊木なりしか近き頃枯れ果ぬ、そを植次かんとて天つたふ日向の国より採よせし事もあなれと、その裔なる秀俊か語りしを聞きて悲しみにたえず、ここひかのしるしとせむ雅生を送り、なほ昔にかへりて八十運と共に栄え人事を思ひやりて (神祇権少副 中臣連胤)
をかたまの 木種をいまど授けつる われ五十猛の神ならぬとと 今よりのさ久末かけてゆぎことの ふかきにはろは神ぞしるらむ
「をがたまの木」とは〔小賀玉木〕とも表記され、招霊の木として神社などに植えられる木であります。
この「をがたまの木」があった「青樹社」付近は過去の検地帳には「魂所(こんど)の木」と記録されていました。
このように、神代以来の忌部の霊地としてのしるしであった立石が今なお大切に遺されているのです。
ちょっとボリュームが少ないのでおまけ。
聖天寺の摩崖仏
黒岩 忌部大神宮の祭壇石
真立石
気になっている周辺の古跡も未調査なのでいずれ黒岩の内容は投稿します。
本日は月曜日。まだまだ一週間長いので今回は簡単に終わります。(^^)