awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

加茂島 二つの人丸大明神

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これまで柿本人麻呂島根県石見に流されと考えられている。島根県益田市(旧石見国)ではこれを既成事実としてとらえ高津柿本神社で人麻呂の偉業を称えているのだ。また兵庫県明石市柿本神社はどうか。島根県兵庫県共に阿波の古い地名が残され、そのまま使用されているためにこのような解釈も仕方ないことなのかもしれない。

そんな時、awa-otokoは偶然見つけてしまった。とある郷土誌で…

立割(那賀郡那賀町谷内立割)の氏神が人丸神社であり、辺川谷(那賀郡那賀町平野辺川)にも人丸神社が祭祀されていた。

不思議なことに柿本人麻呂を祀る神社が同地域に二社が存在した記録が残ります。

しかも立割地区では人神社が氏神として祭祀されていたとのことで、そこそこ規模は大きくて資料、フィールドワークから調査しやすいのでは?と期待に胸が膨らみます。

f:id:awa-otoko:20210103232159j:image(赤枠内が那賀町谷内立割)

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f:id:awa-otoko:20210103232115j:image(赤枠内が那賀町平野辺川)

今回のフィールドワークで確認したのは那賀郡那賀町谷内字に鎮座する八幡神社

これは以前に投稿した蔭ノ宮神社と境内を共有する谷内の八幡神社です。神社誌では祭神が品陀別命、息長帯比賣命、大雀命(相殿)人丸大神とあります。(大神ぞ‼︎ 別格って感じ‼︎)

awa-otoko.hatenablog.com

やはりこの谷内の八幡さんが神社が柿本人麻呂を祭祀する神社であることは間違いないみたい。(※ 以降、谷内の八幡神社を谷内の人丸神社と記載)

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他にも文献を調べてみますと、どうやら元々鎮座していた人丸大神(祠)に八幡祠を後から合祀したとのこと。(これ大事‼︎)

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これに伴う内容として阿波志では「人麻呂祠 谷内村に在り 貞治元年に置く 又柏木祠八幡牛王祠あり」と記載があり、貞治元年は1362年ですからその前後で(深い山の中にあった)立割地区の人丸神社を当地谷内に移遷したのではないかと考えてみたり。。。

理由として谷内村の中心に人丸神社を鎮座させることにより立割地区の他、北側の辺川からでもアクセスしやすい立地条件となっていると感じたから。(勝手に。)貞治元年より立割から規模を広げて谷内村全体の氏神として祭祀されたのではないでしょうか。(これ、あくまでawa-otokoの推測。)

f:id:awa-otoko:20210103233114j:image(赤枠内が谷内村)

 

ところでもう一つの辺川谷鎮座の人丸神社は???

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辺川地区もフィールドワークしてみました。

見つけたのは邊川神社…

谷内の人丸神社の真西に位置し目と鼻ほどの近距離で余裕で歩いて行ける距離です。邊川神社を社名としていることから辺川の氏神でしょうか。。。(いや氏神だろ。。。)

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邊川神社を参拝して気になったのは社殿の向き。

邊川神社は正面西向き東拝で鎮座し、邊川神社で手を合わせると自ずと谷内の人丸神社を拝している

という条件下で意図的に配置されているように思われます。

あとは農村舞台。邊川神社にも立派な農村舞台が設置されています。谷内人丸神社にも立派な農村舞台があるのになぜ二つも必要なんでしょう???柿本人麻呂を祀る神社では文化人が集い、和歌の上達などに霊験がある存在として歌会に人麻呂の絵姿と歌を掲げ、歌の上達を祈願する人麿影供(えいぐ)、さまざまな文化の催しが行われるようになったそうで… それが農村舞台に繋がったとか、繋がらなかったとか… 謎だ。)

ともかく言いたいのは、邊川神社も本来は辺川谷の人丸神社だったのではないかということ。

その他にも、柿本人麻呂の詠んだ歌から背景が阿波国であること、当地の古地名が島根郷岩見だったという情報、勝浦町出身の海人族柿本家… いろいろパラレルに調査し柿本人麻呂は阿波で一生を終えたというパズルのピースを繋げたかったのですが…

ギブアップ‼︎ぴえん。(@_@)

正月休みが終わるということでモチベが上がらない!!!まぁ去年末からブログ投稿を再スタートさせたことでだけでも自己満かな。今年もマイペースでやっていこうと思います。ではでは。