驚愕の事実 剱山大権現縁起(阿波弁Ver)
ちょっと気にて調べてみれば驚きの連続だった剱山大権現縁起。こちらは明治十二年、神山村の三日月家(粟凡直一族)たる粟飯原氏によって記録されたものです。
何故に高越大権現の昔話を一宮大明神氏子が書いたのかはわかりませんが、書いている内容から推測してみれば昔からの一宮大明神(大宜都比売命)と高越大権現(天日鷲命)の確執を抜きにして素直に書いている内容と見てとれます。
内容は日本史上、有名な人物の名もちらほら出てきたりして(読めれば)面白いです。
全訳して全文を公開しようと考えましたが、入力していると五分刻みに睡魔に襲われるのでアッサリと断念しました。今回は新たな試みとして阿波弁で訳して紹介していきます。(阿波弁訳は私的解釈を多く含んでおりますのでご注意下さい。阿波弁訳が気に入らない人は自分で写真を確認して訳して下さい。詳細を知りたい人も同じく。)
ほなさっそく剣山大権現の由緒を教えるわな。
剱山は四国に跨った富士山や白山にも劣らん霊山なんでよ。神代の昔は大宜都比売命と天日鷲命と大麻比古命が粟の国(阿波国)を経営しとったけど、剱山周辺は天日鷲命の縄張りで麓の木屋平は麻植郡の重要な場所やったんじょ。
その後は神武天皇が東征した時に鳴戸から阿波国に入って四国を平定したんよ。ほんでな、嘘かホンマか知らんけど剱山の磐がそびえ立つ様を確認して、磐を「天叢雲(村雲)の宝剣」に見立てて「スサノヲ尊」を祀ったんやって。
更に時代を経て、景行天皇の御宇にはヤマトタケルがクマソを征伐し阿波国の残党も成敗したんやって。成務天皇の御宇には国司に長田別命を充てて、阿波の名方郡府中に都を造ったっていうことなんやけど、そっから高安王、菅生王、葛井王の下、阿波国は治められることになるんよ。
麻植の人らが十一人が選抜されて忌部の姓を貰ったらしいわ。その後も川村王、雄倉王の下で阿波国司は変わって統治されとったんやって。
ほんでほの時に麓の木屋平に堂を建てて「利剣山 龍光寺」と名付けたっちゅうて、「龍光寺」は剱山大権現の勅願寺やって。「利剣山 龍光寺」の「利剣山」とは「天叢雲(村雲)の宝剣」を、「不動明王」は「スサノヲ尊」にあてとるんはもうわかることじゃよなぁ。
あとなぁ、木屋平の川筋に一の行場があって「魔鬼渕(まきぶち)」と伝っとるんやけど、今の「槇渕神社」がほの場所らしわ。岩がゴロゴロしていて渕も深かったけん、行をしよった人がようけ亡くなったんとちゃうかえ?ほなけん魔とか鬼とかの字を使ったんちゃうんかいな。
さらに登ったら「藤の池」。ここは遥拝所やな。
安徳天皇の在所陣営だったところやけん「藤の池」、または「陳屋」と呼ばれたらしいわ。
高い高い山やのに草木が庭園のように生えて、まるで浄土の花園のような場所が安徳天皇の牧場だった「平家の馬場」。それと毎年六月中旬にこの場所で例祭をするんやけどなぁ、参拝人はそれはもうすごい人数で賑わったんやって。
神代から崇拝の象徴やった剱山は空海が開山してからごっつい有名になったけど、その前にも聖徳太子とかが三宝を祀って冥福を祈ったり、延喜六年に紀貫之も鳴戸から大粟山にそって剱山に登って祈ってまぁまぁ昔から民衆の信仰も深かったんじょ。
菅原道眞も筑紫に流れる前に滞留して剱山を拝んだらしわ。その場所は田宮っちゅう場所で今は天神社があるところじゃわ。そうそう、西行も来て剱山に登ったらしんじょ。
話は変わるけどついてきてよ。
安徳天皇は壇ノ浦で亡くなってないよ。大粟山の陣の丸、東宮山経由で剱山の麓、祖谷に落ちてきたんよ。ほんで剱山に錦の御旗と宝剣を納めたりしたんよ。ここは伝説に残っとるけん、皆知っとるわな。
宝剣は上に納めて、下は龍光寺を安徳天皇の菩提院として他の宝もんを治めたらしいわ。
蜂須賀は剱山を熱心に崇拝してなぁ。ほれからまた剱山の信仰も盛んになったんよ。
さぁ、ここからは明治の話じゃ。
明治維新があってこの時代になってから剱山の環境も激変するんじょ。ほなけん、剱山大権現の縁起を残すことになったんよ。神代からの沿革や国司の変動とか書いとるだろ。国司が変わっても重く用いられて崇敬も厚かったって書いとるわよ。
剱山に安置する不動明王は他に比類無き尊像なんを絶対に知っとくべきじゃわよ。剱山大権現は過去・現在・未来の安楽と無偏の福徳を祈願しとるらしいわ。
ほな長々と書いけん、剱山大権現の来歴をここいらで締めるわな。
利剣山 龍光寺院主
大僧都 明皆が残した縁起を校正して残すわ。
明治二十四年十二月 粟飯原 興一 より。
はい。訳しながら度々寝ていたので集中した箇所とそうでない部分がバレバレですね。(笑)
文面に合わせて訳を入力したので長々で読みにくいです。要約します。
実際に剣山に登ってその神域の神気に触れて驚き、平家の宝剣を奉納したことは今も伝説として残っている。
なかなか面白い内容でしたが肉付けしている部分が多そうな気がします。
木屋平村については現在伝説系を調査中。気になる内容があれば、もしくは関連付けできるものがあれば紹介致します。