忌部大祭主 麻植氏の大いなる系譜

でも史料は超一級w わかる人にはお宝!わからない人には全くわからないこの内容。とくとご覧あれ!!


















と、その前に簡単に説明。
麻植氏(おえし)は日本の武家の姓のひとつ。徳島県に特に多い。
忌部氏流 - 阿波国麻殖郡より起こる。阿波の忌部氏の末裔の忌部神社大宮司家麻殖氏の事をいい、「麻植」とも記される。共に読み方は「おえ」と読む。
一族には、麻殖持光がいる。→麻殖氏
・清和源氏柿原氏流 - 阿波国阿波郡柿原村より起こる。一族には上楼の役にて活躍した柿原義長がいる。→ 麻植氏 (柿原氏)
・桓武平氏流 - 1186年平康頼が阿波国麻殖保の保司として麻植郡に領地を拝領したことに始まるとする。 → 麻植氏 (平氏) wikipediaより


おぉー。冒頭からすごいっす。麻植氏は日鷲命の正統忌部氏人の長と謳われております。遠祖には高皇産霊命。


その他に気になるのは日和佐命や伊興産命(伊豫国造ト成ル)などです。


千波足尼の名前も見えますね。
ということは粟凡直と血の繋がりがあるということになりますよね。(当たり前か… )


このあたりになると名前に命が付いていないので、神から人としての立場に移ったようですね。人としての階層に落ち着ついたことで様々な分野の選択が可能となり、さらに一族の広がりを見せたのではないでしょうか。




リストの中には西光法師の名前も。当然、麻植氏ですから何の問題もございません。
藤原成親・俊寛・多田行綱らの平氏打倒の陰謀に加わり、鹿ヶ谷の山荘での密議の首謀者となる鹿ケ谷の陰謀で有名ですね。信西が亡くなり、後ろだてがなくなると地元阿波に舞い戻ったのは阿波氏族のバックボーンが如何に強固であったのかをうかがい知ることができます。
その他にも忌部神社を敷地の山里に定め、定光(貞光)の荘と改めるとあります。







別途、まとめる内容に記載するつもりでいるのですが葛藤(葛城氏と藤原氏の対立)や、源氏と平家の対立は神の末裔をも翻弄させながら今なお継続している模様。この対立の根本的原因を探れば… ちょっと面白い内容が出てきそうな気がします。