忌部神社は神代に於いて石立山(剣山)に鎮祭して奥宮とし、更に衆庶の参拝の便を思って友内山に中宮を建立せるも、住民が次第に里分に移動するに及び次々と里宮を建立するに至った。従って端山の五所平は大宮司家の麻植氏が之を守護し、山崎なる天日鷲命神…
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