awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

安房国忌部系図からみる由布津主命 又名 阿八別彦命(アワワケヒコ)

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どうもawa-otokoです。今回は阿波男ではなく安房男でいきますよ。なんてそんなことはどうでもいいとして冒頭に挙げましたのは「安房国忌部系」です。(※ちなみに野良猫さん、ぐーたらさんも過去記事で「安房国忌部系」を使用されていることを作成後に気付いたのですが、投稿内容がそれぞれ異なるのでそのまま使用させて貰いました。)

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さて、こちらは忌部高山家に伝承されていた忌部家系を表した写本です。以前に調査した阿波貞光家賀集落の児宮神社で祭祀される由布津主命について安房忌部の資料からも迫ってみるのが今回の試みです。阿波・安房は由布津主命がキーマンなのですよ。
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まずは冒頭の朱書きに注目。小さい文字ですね。本題とは全く関係ない内容ないのですが、有名人が記載されているので触れておきます。

明治四年小杉椙邨今ノ戸主高山義行ニ就テ以家系本書ト云フモノノ巻子ヲ目撃スルニ其料紙ハ美濃□ト云フモノヲツギ立テ正楷ニモノセル筆蹟ナド今四五十年バカリニ過ギサルモノト見エサレド紙中ノススケ痛ミナドノヤウナ今少シ古ビタル如クニモノシタリ 軸ハナケレド表禄ノ修覆ハ赤地錦ト云モノ、色モアセ金モサビテ折見ニハ殊臍ナリ 全編尤疑ワシキモノナレド何カ種トスル残嗣ナドアリテ此成文セシナラントカヅカヅ思ユル処ナキアラズ サレバ暇ノヒマヒマ原本ニ校べ見ルニコノ寫本ハ全ク細矢庸雄ガサカシランニ句読及体制ナドモノセシナラン 原本白文也原ノママニ赭色ヲサシテ備考ニアテント

小杉椙邨(こすぎすぎむら)が上総忌部 高山家で忌部家系図巻物を見つけて世に出た資料です。巻物の状態や記載内容について(当時の通説から考えれば)疑わしいが思い当たる節もあると記されていますね。原本ままに写本し、朱書きで備考に充てるとあります。

やっとここから本文。安房忌部の祖として天日鷲命が初代に記されています。まずは忌部氏の背景から説明ということで、スサノオの横暴により天照大神が天岩屋に入るところから始まります。

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八百万の神は天安川の河原に集まり、天照大神を天岩戸から出す方法を議論します。それぞれ神達が役割を担って天照大神を誘い出すのことになり、八尺瓊勾玉八咫鏡などを用意し、阿波忌部の遠祖 天日鷲命は青和幣、白和幣を、天太玉命は太御幣を持って祈祷を行なったとされています。(※ awa-otokoはこのときの天日鷲命天太玉命は同一人物であると考えています。)

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この頁から天日鷲命の次世代に移ります。

まずは神産巣日御祖大神の孫、天日鷲命の子である大麻比古命は亦の名を津咋見命、津杭耳命という記載に始まり、次に天白羽鳥命。亦の名を長白羽命。次に天羽雷雄命。亦の名を武羽槌命。この三柱は言苫比賣命が生んだ子としています。

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大麻比古命は阿波忌部の祖。天白羽鳥命は神風とともに伊勢国に入り、五十鈴宮に奉仕した麻績連の祖。天羽雷雄命は倭文連の祖とあります。

次に真ん中から少し左、大麻比古命の次世代の系譜に繋がります。大麻比古命は磯根御氣比賣命を娶り、千鹿江比賣命と由布津主命のニ柱が誕生します。千鹿江比賣は今千貝大明神是也とあり、由布津主命は又名を阿八別彦(アワワケヒコ)とされます。(この兄妹関係もなんか引っかかってます。。)

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ここでは由布津主命は天止美命(天富命)と定め、さらに由布津主命は青和幣、白和幣を使用して荒妙を調達し、これは阿波国から麻、木綿、和幣の織物を用意させたものであると記録しているのです。

また、由布津主命は其の地(阿波国を指す)に天日鷲命を祭祀する忌部神社、父、大麻比古命を祭祀する社建てて崇拝したとあります。 まさに忌部神社大麻比古神社のことですね。(この伝承から考えれば由布津主命が大麻比古神社を創建したことになりますね。)

その後「天止美命亦科由布津主命而更覚美土而可…(天富命と由布津主命はさらなる良き場所を見つけるため… ) 」とあり、太占の結果から阿波忌部族を率いて東土に移動を決定したことが記載されています。

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阿波から東国に移動した由布津主命は天桅弓、天羽羽矢を用いて諸国の神達を平定していきます。手中に入れた領土を整備し、五穀豊穣も得られたことから土着の百姓も歓喜し、由布津主命の領土は拡大していきました。この業績からの由布津主命の美称として「阿八別彦命(アワワケヒコ)」と云う御名が生まれと言えるでしょう。

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ここから二頁まとめて書きます。

阿波忌部を分けて東国に率いて行き、麻・穀を播き殖え、良い麻が生育した国となった故に総国と言われました。穀の木の生育したところをは結城郡と言れ、阿波忌部が住んだところは安房郡と呼ばれました。やがてその地に祖父の太玉命を祀る社を建てたのが現在の安房神社なのです。

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また、天止美命(天富命)はその創祀の際、天太玉命が天上から持ち来たった神宝を納め、その神宝を娘である飯長姫命に奉仕させます。飯長姫命は由布都主命と結婚し、これが安房忌部氏の祖としています。 「阿八別彦命御合天止美命之子飯長姫命而所生子名訶多々主命是之安房忌部首之元始也。(阿波別け彦と飯長姫が夫婦となり訶多々主命が生まれた。是、安房忌部党首の元始なり。」ですね。

↑↑↑阿波での由布津主命動向↑↑↑

 ↑↑↑粟国造の資料からみた阿波忌部系譜↑↑↑

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はい。やはり安房国の資料をみても由布津主命が阿波国安房国を繋いだということです。由布津主命は阿波でも天日鷲命大麻比古命を祭祀しているように関東でも天日鷲命大麻比古命を祭祀していることはまず間違いありません。今に至っては天日鷲命がメジャーになり過ぎて、殆んどが天日鷲命に侵食されているようにも感じ取れます。これも天日鷲命の御神威ということでしょうね。

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さて今回安房忌部資料で作成しましたが、安房国の地理的に説明できない部分は文章から割愛しました。そのためちょっと物足りない内容になっている箇所がありますのでそこはご容赦を。でもこの内容を書いていた時、いろいろインスピレーションが働いて良いネタが湧いてきましたのでいろいろ準備したいと思います。もちろん由布津主命です。ではでは。(・∀・)