武内宿禰は尊称(高良神社、武威神社)
阿波井大明神の鎮座する内海(うちのうみ)が神代より近世に至るまでも有名な阿波水軍の一大根拠地。
その根拠地で生まれついて以来、水軍大将の位置にあった武内宿禰。
【武内宿禰】
(景行天皇14年 - 没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の人物。
『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」とも表記される。「宿禰」は尊称。景行、成務、仲哀、応神、仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏、巨勢氏、平群氏、葛城氏、蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。(Wikipedia)
朝鮮半島出兵の総司令官として出陣し、帰国後は「以の津 宇弥(うみ)の宮」で応神天皇を出産した神功皇后より軍功として大山津見(おおやまつみ)命の神領であった伊太野郡大山神宅(かんやけ)の地を皇后より賜わっています。
(矢武八幡神社 )※ 写真はネットから拝借しました。
「以の山 甲羅峯の墓陵」が甲羅の形の峯にある故に「高良大明神」と呼ばれるようになったと伝わります。
(応神町 高良神社)
また、上板町神宅では老後を過ごしたとあることから大山の麓峯に御陵を造営し、埋葬されている可能性もなきにしもあらずです。
話は少し逸れますが、仁徳天皇も讃岐の国に殯宮(富田茶臼山古墳)があり、本陵は「以の山 ササギの抜け穴(現 麻耶姫の墓)」があります。
要するにまだまだ不明な部分が多いということです。
通説では数代の武内宿禰を一代として考えられていることから伝承も数代分が混同してしまっております。
今後の調査結果に期待ですね。またわかったことがあれば追記します。