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阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

神主 市磯長尾市の旧跡(讃岐 長尾寺)

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日本書紀」によれば、元々倭大国魂神天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは両神の勢いだと畏れられた。
そのため崇神天皇6年、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせたが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。
崇神天皇7年、倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。
また同年11月にも同じようなことが起こり、大倭直の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、神地が定められ鎮座・創建された。 
市磯長尾市(いちしのながおち)は生没年不詳。「日本書紀」に伝わる古代日本の人物です。
 
倭直(倭氏)の遠祖で倭大国魂神の起源譚で知られ、日本書紀崇神天皇7年 8月 7日条によると、倭迹速神浅茅原目妙姫(倭迹迹日百襲姫命)・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君ら3人は同じ夢を見て、大物主神倭大国魂神の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にすると必ず天下太平になると夢告があったと天皇に奏上し、崇神天皇7年 11月 8日、夢告の通りに大田田根子と長尾市とに祀らせると、疫病は収まって国内は鎮まったとされます。

 

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はい。今回は「市磯長尾市(いちしのながをち)」。

崇神天皇七年に倭大国魂神社の神主とされ、祭祀を行った市磯長尾市(いちしのながをち)の旧跡は讃岐の長尾寺であると伝わります

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長尾寺(ながおじ)は、香川県さぬき市長尾西にある寺院。四国八十八箇所霊場の第八十七番札所。本尊は聖観世音菩薩。
 
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寺伝によれば天平11年(739年)、行基が当地で霊感を得て聖観音菩薩像を刻み、堂宇に安置したのが始まりとされます。
 
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空海弘法大師)が渡唐前、当地に滞在し、年頭7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり、これは毎年1月7日の「福奪い」として今に伝わっています。
 
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天長2年(825年)、唐より帰朝した弘法大師によって霊場と定められ、幾度かの兵火により堂宇は失われましたが、その都度歴代藩主によって再建されています。
 
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なお、静御前源義経と別れた後、母の磯禅師と共に当寺を訪れ、得度したとの言い伝えもあり、静御前の位牌が本堂の左脇陣に残されています。
 
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ちなみに、長尾寺ご詠歌である

「あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて」の「秋の夜すがら 御名を唱えて」とは…

 
倭迹速神浅茅原目妙姫(倭迹迹日百襲姫命)・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君ら3人が、大物主神倭大国魂神の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にするよう指名した内容を指しているそうです。