awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

古代の呪術都市か⁈ 旧貞光町

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お久しぶりawa-otokoです。今までに詳細を投稿した友内神社と御所神社(御所平)を除いた旧貞光町の神社をご紹介したいと思います。

貞光町内は東西に分けた祭祀対象が設けられ、また時間軸が異なる古跡が重なり合っている興味深いエリアです。今回に限って少し趣向を変えて風水・呪術(結界)的な面からawa-otokoの独自解釈でご紹介したいと思います。

 

f:id:awa-otoko:20171203221607j:plain松尾神社
祭神:大己貴命木花咲耶姫命大山咋命酒解神酒解子神
創建年代は不詳。京都松尾神社の分霊を勧請した… とされます。古くから酒造家や杜氏の守護神として崇敬されていました。目抜き通りの入り口に位置する旧貞光の顔のような神社です。

解説:東西の山際から流れてくる陰氣を陽氣で中和する役割を担っている貞光の古社。当社境内は必然的に清浄されているということです。(所謂パワスポってやつですよ。)

 

f:id:awa-otoko:20171203222035j:plain宮内神社
祭祀:国常立神、豊斟淳神、宇比地邇神須比智邇神角杙神活杙神、大斗能地神、大斗能弁神、淤母陀流神、可志古泥神、伊奘諾神、伊奘冉神
元享元年(一三二一)の創建… と伝えられています。 もと東山十二社権現と称し、明治初年に宮内神社と改称。阿波志には「東山祠貞光村東山に在り、十二社と称す、其主西山祠と同じ」と見えます。社殿は讃岐金比羅宮を模して造営されたとのこと。当社は東ノ山エリアの要所ですね。

解説:木綿麻山から流れてくる氣と木綿麻川の流れによって比較的スムーズに氣が流れてます。ただ若干古跡を破壊していることによって乱れはあります。

 

f:id:awa-otoko:20171203222911j:plain熊野神社
祭神:伊奘諾命、伊奘冉命、速玉男命、事解男命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊瓊瓊杵尊、彦火々出見尊、彦波瀲武鵜草葺不合尊、罔象女神軻遇突智神、埴安姫神稚産霊神
天長九年(八三二)に領主小野寺友家が紀州熊野神社の分霊を奉斎した…と伝えます。こちらも阿波志では「西山祠貞光村西山にあり、十二社と称す、天神七代地神五代を祀る也」と見え、天宮神社ほか四社を合祀して今に至ります。

解説:西ノ山については墓所とさまざまな要所が重なっていて、多感な人でなくても何かそわそわする感じを受ける場所だと思います。旧貞光の中でも陰陽の氣がばらばらのままで点在している特異なエリアですね。こちら熊野神社は東ノ山と対となる西ノ山の要所となります。(古代神を祭祀する必要がある場所に熊野神と諏訪神を祭祀していることもちょっと…汗 )

 

f:id:awa-otoko:20171203223550j:plain八坂神社(辻)
貞光の祇園さんと呼ばれる辻の八坂神社。昔は京都の八坂神社の別当成就院から、毎年美馬と三好両郡に神符を配るために出張してくる役僧の宿泊施設とされていたようです。1653(承応二)年に貞光に悪病が流行し、ここに京都の祇園さんの分霊を勧請。護摩を焚き祈祷を行ったのをその後も続けています。

 

f:id:awa-otoko:20171203223645j:plain八坂神社(大坊)
こちらがある意味で本当の八坂神社。当地付近には忌部十八坊の大本坊(大坊)という寺が存在していましたが、天正年間の兵火によって焼かれました。慶長十二年に再建され、「今滝牛頭天王」と呼ばれていたものが八坂神社に改称されています。

八坂神社の位置から少し下に存在していた忌部大本坊。本来は忌部の神裔(麻植氏)を祭祀していたのではないかというところなのですが… ぶっちゃけ、それに深く関係していると考えているのが十王堂裏にある麻植定光の首塚です。

破壊される前の大本坊寺領は北は真光寺、東は十王堂まで含まれていたのではないかと推測します。

f:id:awa-otoko:20171203232334j:image(最低でも赤の枠線内が忌部大宮司家 麻植氏の領域だった。※ 推定)

f:id:awa-otoko:20171203234447j:plain(麻植定光首塚

現在の西ノ山 熊野神社や貞光城跡も忌部の古跡を利用した施設だった可能性さえもあります。そうでなくては貞光という地名にもなった麻植定光の首塚の位置が不自然過ぎるのです。

 

【まとめ】

貞光町は神代からの古跡、その後の忌部族の古跡、中世の城郭と施設の時間軸が違う宗教施設が重なり合って異質な空間を作り出している場所が多く存在しています。

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家屋の密集や細い路地が迷路みたいに組み込まれているのは、攻め込み難い城下町としての役割も担っていたことによるものです。その他の理由としては市街地を碁盤の目に模して東西の氣を細分化しながら松尾社に集束、背後の吉野川に逸らするように配置した意図が働いているように感じます。

解説: 東ノ山からの氣の澱みは木綿麻山から降りる氣と木綿麻川の流れによって吉野川に合流して出ていきます。西ノ山付近の氣は停滞しやすく、松尾社が西ノ山の浄化施設:フィルターとなっています。ただ現在は補えきれていませんので滞留し過ぎた時は何かが起こる⁈ でしょう。。。

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その他では大坊から辻にかけては西ノ山の氣とは異質なもので氣の滞留はあまりみられません。こちらは麻植定光の首塚(もしくは牛頭天王:八坂)が、平将門首塚のように呪術的な仕掛けで守護しているのと似ているのかもしれません。

解説:大坊 八坂、辻 八坂から出る氣は剣山の氣も含まれていて、それが十王堂経由で貞光の市街地(中心部)に流れています。(街道を通じて松尾神社に繋がっている。)現在、旧貞光町の西側ではこの氣の動きしかなく、当地の氣の流れがなくなれば更に西ノ山の氣の澱みと停滞が増幅します。よって清浄に保ち、建造物を増やしたり通路を妨げてはダメです。

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古代は剣山、友内山(木綿麻山)のから降りてくる研ぎ澄まされた氣を巧く貞光集落に落として吉野川で留めていました。

解説:数多の年月を経て吉野川の流れも変化し、貞光集落に設置されていた要石的な古跡を破壊して結界バランスを崩したことが、西ノ山付近の氣が滞留する事象に現れているように思います。幸い東ノ山は木綿麻山と木綿麻川の流れで氣の停滞はありません。

これがいつの時代にかバランスが崩れて風水・呪術的に考えられていた機能が麻痺している状態にあります。

f:id:awa-otoko:20171204152321j:image(東西バランスよく配置されていた古跡)

現状乱れている氣のバランスを戻すことは難しいですが、大坊〜辻エリア 麻植定光の首塚(十王堂)を清浄に保ってもう少し祭祀してあげることでしょうかね。

f:id:awa-otoko:20171203221159j:plain(大坊からみる旧貞光市街地)

ここまで書いていて何なんですが、あくまで素人(awa-otoko)の独自解釈ですので気にしないでください。(気にされたら困ります。)ただ資料不足などで考察が行き詰まった時、こういうスピリチュアル?な面から考えることも必要なこともあって、今回はそれを採用したまでです。

これまでに旧貞光町をくまなく周りましたが、とてもスピリチュアルの観点から計算して作られた部分があります。こういうところに敏感な方、もしくは専門の方が計算して端八十八の巡礼システムも組み込んだのかもしれません。そして古にこの原型を誰が造営したのかを追っていけば古代神を祭祀した忌部大宮司家の麻植氏、さらには天日鷲命に行き着くのです。(これも流れってやつですかね。)

 

次回は資料に基づく考察に戻すつもりです。ただ、ネタはあるけどまとめるのがとても面倒くさいのでそのまま新年に突入するかも。それではまた。( ^ω^ )