awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

忌部伝承 二種の神器

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ヤマト王権が確立してから宮廷祭祀を司った忌部氏と中臣氏。忌部氏は主に祭祀具の製造や調達、管理を行いながら宮殿の祈祷も中臣氏と共に担っていたのは皆さまもご存知の通りです。日本書紀には中臣連の遠祖 天児屋命、忌部の遠祖 太玉命、相与に致其祈祷す。」とあり、天照大御神を天の岩戸から引き出すために祈祷したと記されています。

f:id:awa-otoko:20170903222118j:image一宇 天の岩戸神社)

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古語拾遺では、太玉命をして捧げ持ち称賛さしむ。亦、天児屋命をして相副に祈祷らしむ。」「太玉命天児屋命、共に其の祈祷を致す。」とあり、忌部氏と中臣氏とは同等で同格の地位を以って宮廷祭祀を行っていた経緯が記されているのです。
さて、ここ最近で再度浮上してきた貞光の忌部大神宮伝承。どうも友内山には中臣氏が、隣の御所平には忌部氏が祭祀されていたことが俄かに解ってきました。今回は御所平に鎮座していたと伝承される忌部大神宮こと御所神社の御神宝に迫ってみましょう。

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f:id:awa-otoko:20170903222521p:image(御鏡と天目一箇神 お手製の御長刀とある。)


天皇天皇であるための神璽(みしるし)としての「三種の神器」は有名です。八咫の鏡、草薙剣八尺瓊勾玉ですね。

しかし忌部氏には「二種の神器説」が存在し、延喜式 大殿祭の祝詞には、「天つ璽の剣・鏡を捧げ持ちたまひて… 」、「凡そ践祚の日には、中臣、天神の寿詞奏せよ。忌部、神璽の鏡・剣上れ。」とあり、古語拾遺には八咫鏡草薙剣の二種の神宝を以て、皇孫に授け賜ひて、永に天爾(所謂神爾の剣・鏡是なり。)と為たまふ。矛・玉は自に従ふ。」とあり、即位の神璽は鏡と剣の二種であること、矛と玉はその二種の神器に従属することが明確に記されています。
また、「斎部(忌部)氏をして石凝姥神が裔・天目一箇神が裔の二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめて、護の御璽と為す。是、今践祚す日に、献る神璽の鏡・剣なり。」とあるのです。

まさしく、御所平鎮座 御所神社こと忌部大神宮の御神宝は忌部大明神の御神像と御鏡、そして天目一箇神 お手製の御長刀なのです。(刀は長曾我部元親侵攻より180年を経て石塚より出現とある。)

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御鏡は吉良の住人 繁蔵(しげぞう)所持!?

f:id:awa-otoko:20170903224056j:image(ネット上の画像をお借りしました。)

 

面白くなってきました。貞光の忌部関係はさらに調査を続けたいと思います。

 

最後にちょっとだけ。

友内山と御所平は中臣氏、忌部氏が同等同格で祭祀されていたと考えます。ということは… 

 

f:id:awa-otoko:20170903224651j:image(友内神社)

f:id:awa-otoko:20170903224718j:image藤原氏祖神御霊の祠)

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f:id:awa-otoko:20170903224839j:image(御所神社)

f:id:awa-otoko:20170903224906j:image(御所平 御魂所)

 

続きに乞うご期待。