awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

日知りと月読み(その壱:日智子王神社)

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種穂忌部神社の摂社に「日智子(ひちこ)王神社」がございます。種穂山登山道にこんな看板があるのはご存知でしょうか。(登山道幅は狭いし車を駐車する場所も限られるので、よほどマニアな人でないとこちらの大神宮を参拝する人はいないのではないかと思います。)

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さて、日智子王神社の「ひちこ」。なかなか耳にしないワードですよね。付け焼き刃ですが調べた内容を説明しますと、当社の祭神は天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこひににぎのみこと)。それを背景に置いて考えられる意味は「日継(ひつぎ)の皇子」とのことです。(種穂山から吉野川対岸に「柩(ひつぎ)神社ってあったよな〜。意味深… )

f:id:awa-otoko:20170909173010j:image(日智子王神社な。)

そして鎮座地が「日知利子(ひしりこ)」という地名であることから、あて字で「聖(ひじり)」という尊い意味を含めながらも「日知り(ひしり)」を意味しているのではないかということです。

f:id:awa-otoko:20170909173122j:image(摂社にしては結構、立派ですぜ。)

 

「日知り」って何なんだ⁈

 

そんな声が聞こえてきそうなので説明しますと、古代では天の運行を知り、山間部では農業、沿岸部では海行の指示を与える祭祀者「月読み」が存在しました。

ここは山間部。農業を統治し指導する者は太陽の運行を知り、穀物の種を扱う祭祀者が存在し、それが「日知り」ではないのかということなのです。(海人族は潮の満干を知る月読みがポピュラーですが、山間部では日、月、星の知識に長けた祭祀者により穀物の種類を取り扱う「日知り」とされたのではないかということです。)

f:id:awa-otoko:20170909173331j:image(板碑もあったし、ここ古墳だろうね。)

f:id:awa-otoko:20170909173736j:image(種穂山 遥拝所)

f:id:awa-otoko:20170909173937j:image(種穂忌部神社

f:id:awa-otoko:20170909173957j:image(種穂山から望む)


この「日智子王神社」が鎮座するの種穂山。その種穂の由来とは、麻・穀・五穀の種だけでなく、棚田の「種田」を扱ったものとも考えられていることから、まさに種穂山に鎮座するのが相応しい「日智子王神社」なのです。

今回はめずらしくシリーズにします。なので短め。次回に続く。なのです。(*゚∀゚*)