awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

端山は母山の義なり(その壱)

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実に太古の話、四国の統名を伊豫というものと相通ず。伊豫は即ち祖の義なる母きか。祖谷山は親山の義。端山は母山の義なりと。蓋し祖志の説、進化せるものたり。

f:id:awa-otoko:20171015232534j:image(吉良 御所神社)

はい。今回は端山周辺のお話。冒頭に記した伝承に基づいて考察を進めて参りましょう。

美馬郡端山村に忌部神社と称する神社あり、而して其附近忌部氏に関する伝説頗るに多し、國鏡、阿波郡荘鑑其他諸種の舊記に、此地の遺跡傳説等詳記せり。即ち曰く、「美馬郡拜原村昔忌部大神宮四国神領之節出家沙門吉野川を隔て北地川向ひ此原にて拜し奉る、依て拜原村と云ふ。西端山神代に天日鷲命御馬に召れ此處の内吉良と云ふ處に御止り其古跡吉良の御處なり、此處に鈴なり紅梅とて名華あり、花千重なり。藤の森、御所平、駒が岡、蜂須五社大明神、御魂處。山上に二ヶ所あり、一所は御后一丈四方程なる大石にて圍ひ今は人往難し。

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友内山の北東向かい、吉野川を挟んだ脇町拝原はその昔、御所平 忌部大神宮を遥拝した場所であったが故の地名です。(そうそう、倭大國敷神社が鎮座してる場所ね。友内山を拝む拝原に鎮座している大國敷って誰を祭祀しているのかよーく考えてみて下さい。☜ ココ、必ずテストに出ますよ。(嘘)www )

ここは友内山を拝んでいたという、謂わば前フリ部分ですね。

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f:id:awa-otoko:20171015232400j:image(蜂須神社)

そして、神代に天日鷲命が馬に乗って降臨した吉良には古跡が数々存在していたとあります。それは藤の森、御所平、駒ヶ岡、蜂須神社、御魂處だそうです。

その吉良(吉良は西端山に含む)の山上には御魂處が二ヶ所存在し、その内の一つは天日鷲命の后の御陵であるとされています。一応、その部分は過去に紹介済みであるところ。

f:id:awa-otoko:20171015233615j:image(そう。まさにこれ。后の陵と推定。)

御所神社の裏山にある清頭岡遺跡(御魂處)ですね。御所神社がなぜ当地に鎮座しているのかは、この御陵の存在があるからでしょう。因みにこの側にも天日鷲命の后が機織したという伝説の窟が存在します。

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f:id:awa-otoko:20171015235436j:image(こちらは蜂須神社ね。)

さて、もう一つの御陵は…

今は秘密。。。

なぜ蜂須神社の写真を掲載したのかを推理してみて下さいネ。(awa-otoko的にはもう一つの御陵も后のものと推測しております。)

忌部古社大蔵後家舊記曰清頭谷日名祇谷落合處に日鷲命津咋見尊二神奉両森大神宮と號、奉稱處清頭岡と唱へ来る、面に神孫第一之御魂金銀御平足を立賜所神平と號、元祖白川御處と唱へ賜ふ、此二神 川を見し賜ふ處佐久良谷花都より吉野迄流来る、花珍數御川と御勇賜ふ故此原惣名川見と唱来る、當山日鷲命御坐す、岩屋日名祇大神宮と奉號、本社友内宮本社頭也、東森月出大神宮西森京大神宮都奉彰云々。

さて次。清頭谷と日名祇谷が落ち合う場所に天日鷲命と津咋見命の二柱を祭祀した両森大神宮が存在したとありますね。あと御幣を立てた神平など。まぁそこら辺は置いといて、次が大事な部分。

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當山日鷲命御坐す、… 本社友内宮本社頭也。

はい。本社は友内山って記録されているんですねー。因みに天日鷲命がお住まいになった日名祇(ひなぎ:日鷲(ひわし))の窟は友内山の… にありますので出典の内容には間違いはありません。

そして大事な部分、なぜ友内山(友内神社)が本社なのか… これは皆様のご想像にお任せして今回は中途半端に終わりたいと思います。wwww(といっても次回にまとめようとも思っていませんが。)

という訳で東森月出大神宮、西森京大神宮もちょっと心当たりがあるので書きたいのですが、そろそろ夜も更けて参りました。これもまたの機会に。。。(≧∇≦)