宇狭の宮(神山町 宇佐八幡神社)
「宇狭」とは本来、地形上よりきた地名。
「雲早(くもそう)山」の山麓より流れ出て、神通滝の流れを合わせ、「宇狭(うさ)」を通って「鮎喰川」となります。
「宇狭」とは川をはさんで「北宇井」「宇井」の地名が記されている所。両岸まで南北の峯尾がせまり川幅がおしせまっている場所の形容からきた地名だったのです。
話を進めます。
「宇狭」よりさらに奥に「雲早山」がありますが、「雲早山」を中心として祀られた「豊雲(とよくも)大神(女神)のお社がもともと「龍(辰)の宮」と呼ばれておりました。
「豊雲大神」とは「倭奈国」時代からの龍神、または水神とされる海人族の女神。
その「雲早山」の山麓から流れ出る「神通川」から流されて来た「龍の宮」が、宇井の亀石に引っかかって「宇佐の宮」となりました。
(龍の宮が流れ着いた亀石は現在、御甕神社が鎮座します)
その後、「宇狭の宮」がさらに下流に流されて「天佐自能和気神社」になっています。(ややこしい)