草の神から稲の神へ(鹿江比賣神社)

「古事記」では鹿屋野比賣神、「日本書紀」では草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)と表記し、『古事記』では別名が野槌神(のづちのかみ)であると記している。
神産みにおいて伊弉諾尊(いざなぎ)、伊奘冉尊(いざなみ)の間に生まれた。「古事記」においては、山の神である大山祇神との間に、4対8柱の神を生んだ。神名の「カヤ」は萱のことである。
萱は屋根を葺くのに使われるなど、人間にとって身近な草であり、家の屋根の葺く草の霊として草の神の名前となった。
別名の「ノヅチ(野槌)」は「野の精霊(野つ霊)」の意味である。
今回はその中から鹿江比賣神社をご紹介します。
「鹿江比賣神社」は上板町の「葦稲葉神社」に合祀された社。そして延喜式内社 鹿江比賣神社は阿波にしか存在しない重要な神社なのです。

まず、境内入り口の鳥居扁額に「鹿江姫神社、葦稲葉神社、殿宮神社」とあるように葦稲葉神社に鹿江比賣神社が合祀され、境内には摂社の殿宮神社が並んで鎮座しています。


(殿宮神社の祭神は素戔嗚尊)
葦稲葉神社は葦稲葉大明神と号し倉稲魂命鹿江比売命を殿宮神社には素戔嗚命を 夫々主祭神として奉祀せり神宅も地名も 亦當神社と由緒浅からぬもの有りこの三 社大明神特に式外社とす神位高き葦稲葉 神社は由緒厚き古社にして人皇五十四代 仁明天皇承和九年從五位の下を授けられ 五十六代清和天皇貞観九年四月二十三日 從五位の上を授けられ同十六年三月十四 日從四位の下を授けらる五十七代陽成天 皇元慶三年六月二十三日從四位の上を賜 る斯く古来上下厚き尊崇を受けたり
しかるに當神社の御拝殿並に御輿庫は幾 十星霜を経て老朽は著しきため御神慮を 畏みまつる氏子崇高者その総意を結集し て曩に御造営奉賛会を結び熱誠を以って 多額の浄財を寄進す
氏子総代をはじめ奉賛会役員委員一同誠 意を盡くし昭和の御造営見事竣成す
茲に神徳崇高なる葦稲葉殿宮神社御造営の概 略を記し永く後世に傳へんとす(境内 案内碑より)
古より葦稲葉神社は背後に聳える大山に祀られ、山麓で鹿江比賣神社が祀られた経緯があります。
これは葦稲葉神社の奉祭にあたり、板野郡上板町神宅地区には、山上の「奥宮」、山麓の「里宮」、田地の「田宮」という、古代の祭祀形態があったという伝承が残されているからなんです。
「奥宮」は畑地区の「葦野原」
「里宮」は「神宮寺」付近
「田宮」が現在地「殿宮」付近
したがって、祭祀形態を場所と神で置き換えると…
「奥宮」神体山「大山」の男神「葦稲葉神」
「里宮」は産土女神である「鹿江比売神」
「田宮」は殿宮("とのみや"は"たのみや"からの訛化)

鹿江比賣神社は伏見稲荷大社の元社(のひとつ… )
いやはや、、、スゴい神社です。