稲荷神にして合体神 - 葦稲羽の神(神山町 若宮神社・稲荷大明神)
神山町 神領を通る国道438号線沿いにひときわ鮮やかな朱の鳥居がございます。
幼少の砌、車に乗せられて神山町を走る最中に「何故こんな場所にお稲荷さんがあるんだろうか?」とふと考えたことがあります。それから数十年、長い歳月を経て、この地になぜ「稲荷大明神」が鎮座するのかわかるようになりました。
今回は葦稲葉(葦稲羽)の神について粟国造粟飯原家系図より話を進めます。
以前に葦稲葉神と男神であり大山祇神そのもの…と記載しておりましたが、今回 粟国造粟飯原家系図の記載の中に以下のような内容を確認致しました。
【粟国造 粟飯原家系図より】
物忌奈命(ものいみなのみこと)
亦御名葦稲羽神此者坐大粟山大神之摂社若宮明神也亦板野郡神宅村葦稲羽明神也
【訳】
ものいみなのみこと。またの御名を葦稲羽神。この神、大粟山大神の摂社 若宮明神なり。また板野郡神宅村の葦稲羽明神なり。
若室神(わかむろのかみ)
粟国造祖也葦稲羽神必當同神(八倉比賣神社宮主)
【訳】
わかむろのかみ。粟国造の祖なり。葦稲羽神と同じ神である。(この神は八倉比賣神社の宮主である)
以上のことから…
積羽八重事代主神と大宜都比売命の三男ニ女の五子のうち、第一皇子と第二皇子が習合されて葦稲羽神となっている。
葦稲羽神の一人である第一皇子 物忌奈命を祀る粟一宮大粟神社の摂社 若宮神社と上板町 葦稲葉神社で葦稲羽神が祭祀されていたことがわかりました。
そして、こちらも見ておいて下さい。
物忌奈命 (ものいみなのみこと)
「続日本後紀」によると、三嶋神(伊豆國一宮の三嶋大社祭神)とその本後の阿波咩命(阿波命神社祭神)の間の御子神という。鎌倉時代末期の成立とされる『三宅記』では、三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前」から長子「たゝない王子(たたない王子)」、次子「たふたい王子」が生まれたと記す。これら3神の社はそれぞれ阿波命神社、物忌奈命神社、日向神社に比定される。
久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)
「古事記」によると、大年神の子で山裾の肥沃な土地の神である羽山戸神と穀物神である大宜都比売命が婚姻して生まれた子とされる。これらの神々は植物(特に稲)の成育を示すと思われる。久久紀は莖立つ木で材木、若室は新築の家、葛根は材木を結び固める綱のことで、新嘗祭のための新しい建物を意味する。
物忌奈命は伊豆国へ、久久紀若室葛根神は大和国へ移動していますが、注目すべきは久久紀若室葛根神が八倉比賣神社宮主であったということです。
こちらは過去に書いた一宮神社から天石門別八倉比賣神社に移動した阿波女社宮祖系の継承の内容と繋がります。
事代主神と大宜都比売命の第ニ皇子が八倉比賣神社宮主(阿波女社宮主)となったと考えてよいでしょう。
このことから、積羽八重事代主神と阿波女神(大宜都比売命)と物忌奈命は伊豆へ、若室神直系が阿波女社宮祖系を継承し、粟国造 粟飯原家の祖として土着したと考えられるのです。
そして、高根山の麓に鎮座する神山町 神領 若宮神社は物忌奈命のルーツであり、上板町 葦稲葉神社の元宮の一つと考えられるのではないでしょうか。
物忌奈命と若室神を習合した神が「稲荷神」の一つ(宇賀御霊:葦稲羽神)であり、その大いなる母「大宜都比売命」こと「大狐(宇賀女神)」を讃えるために「稲荷大明神」がその場所に鎮座しているのです。
【オマケ】
阿波では、その地域の大地主神の皇子や御子が「王子神社」・「若宮神社」として祭祀されていることが殆ど。
まずは地区の大地主神を調査すれば、主祭神が不明の王子神社・若宮神社の手掛かりが掴めやすいでしょう。(注意:稀に王子神社が玉子神社だったりする例外もあります。)