品陀真若王と三比賣(石井町)
(品陀真若王社跡)
「品陀別命(ほむだわけのみこと)、軽島の明宮に坐しまして、天下治らしめしき。この品陀真若王(ほむだのまわか)の女、三柱の女王を娶したまひき。
一はしらの名は高岐入比賣命(たかきいりひめ)、次に中比賣命(なかつひめ)、次に弟比賣命(おとひめ)」
これは「品陀真若王」の三比賣を娶ったことで「品陀真若王」の氏族の分かれであることを表しています。応神天皇自身皇族でありながら「品陀真若王」の名を語り、名を別けていることから、いかに品陀真若王が往時に勢力を誇った氏族であるかがお分りいただけると思います。
そして「品陀真若王」の三人の比賣。
まず石井町の東、渡内川の高城(たかき)の「東王子神社」に「高岐入比賣」。
(西王子神社)
さらに西の石井町浦庄地区の「西王子神社」に「弟比賣命」が鎮座し、祭祀されています。
品陀真若王の話に戻しましょう。
品陀真若王の御陵は現在も残っております。
場所は詳しく教えれませんが(説明が難しい場所だから)、その御陵を拝する祠(品陀真若王社地)が残っております。
ズバリ御陵は品陀真若王社地の前の山麓です。たぶん盗掘もされていないので、掘れば何らかのお宝が発掘されるはずです。