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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

山脊の水主(讃岐 水主神社)

阿波国以外 神の坐す場所 空海の足跡 古墳、板碑 明神、大明神、権現、大権現 阿波の伝説 阿波の神社巡り 義経の足跡
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倭迹迹日百襲姫命、都の黒田宮にて幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ、お船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘、今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きところを求めて、8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり、成人になるまでこの地に住まわれた。
土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる。
ひつこいですが、黒田は徳島市国府町の黒田です。黒田宮から大坂山を越えたか、山城町から山越えをしたのでしょう。

倭迹迹日百襲姫命の殯宮跡(箸供養) - awa-otoko’s blog

 

 
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この地に来るまでに船は使ったのでしょうか。。。(大坂越えで来た場合には吉野川を下るのに船は使ったでしょう。たぶん。)
 
天孫饒速日尊の第十世、山脊大國魂命は山脊(やましろ) の國造として国土経営に功あり。其子孫代々此地に廟食して国土を統治す。
この故に山脊大國魂命または山代根古命とも尊称す。大國魂とは国土経営を賛称し、根古とは其民統治の謂なり。
人皇十代崇神天皇の御代、豊鋤入姫命をして大殿裏に奉祀の天照大神を倭笠縫邑に遷祀せしめ給ひしが、また別に淳名城入姫命をして、日本大国魂命ならびに山脊大國魂命を倭、山脊の二国に神籬を建て、齊き祭らしめ給う。水主神社はその一社なり。
天照御魂神は即ち火明命にて氏の高祖なり。第十世山背大国魂命にいたり山背に移り大に其の国に功烈あり。之を尊みて山背大国魂命という。

倭の魂ここにあり(倭大國魂神社) - awa-otoko’s blog

 

ここでいう山脊(やましろ)とは徳島県北部最西端の山城町の事を指しています。
そもそも山脊とは山を背にしている地勢から「山脊」と呼ばれ、これは山の北、南の方向にとらわれず、山を背にしていたら「山脊」と呼ばれたみたいですね。
 
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義経隊の一隊が戦いの勝利を祈ったと伝えられる。奈良時代以前からの歴史があるという神社で、一隊が通った頃は、近くにある那智山のふもとにあったといわれている。
 讃岐で最初に位を授けられた延喜式内社。7代代孝霊天皇の皇女、倭迹々日百襲姫命がまつられている。社宝には、国の重要文化財に指定された木造の御神像や狛犬などがある。納められている鞍が、義経のものという話がある。 
義経の本隊か分隊かはわかりませんが、やはり戦勝祈願に寄っているみたいですね。(義経本隊、分隊は阿波の旧跡をまわりながら板野大坂山、上板大山などにわかれて讃岐に入った形跡がある)
 
さて、ここからは境内掲示板を中心に見ていきましょう。
 
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水主神社(延喜式内社)
祭神 倭迹々日百襲姫命日本書紀
夜麻登々母々曽毘売命(古事記) 
倭迹々日百襲姫命
奈良県黒田慮戸(現在の奈良県磯城郡田原本町黒田)に居を定める。
御年七才より黒田を出、八才にて水主宮内に着き給う。 
成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆成し水徳自在の 神と称へられ奈良時代にはすでに神社形成をなしていた。
◎水主三山(熊野三社)
山嶽信仰 増吽僧正が遷宮すると伝えられる。
● 新宮神社(虎丸山)御祭神 伊邪那美命(国生冥界との深き神)
● 本宮神社(本宮山)御祭神 早玉男命(禊祓を司どる神)
那智神社(那智山)御祭神 事解男命(龍神(水)・食物豊穣司どる神)
◎水神社 御祭神 水波女命(井戸を司どる神)
◎水主神社別当寺 大水寺(開基は不詳)
水徳山宝珠院神宮寺、寛文年中に大水寺と改める。
本尊は、阿弥陀如来(円光寺へ)
不動明王、二童子(与田寺へ)
十一面観音(坂手・観音寺へ)
● 江戸末期まで、神仏混合 ● 明治元年三月、神仏分離令
● 明治二年二月二十五日、正式に廃寺となる。
伝教大師 最澄(七六七〜八二二)
延歴九年(24才の時)水主神社・大水寺に参籠する。
比叡山延暦寺創建す。(22才の時)天台宗
弘法大師 空海(七七四〜八三五)
水主神社境内地に於て閼伽井水を掘り水主神社に奉献する。
高野山金剛峰寺・善通寺真言宗 (現在の閼伽の井戸)(境内案内)

 

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当社は大水主大明神又大内大明神と言われ文武、元明天皇の時代より「洛陽の坤の方なる讃岐の国に霊地あり、大水主御社と号す」と言われていました。
創祀は遠く孝霊天皇の御宇にして一説には、宝亀年間の勧請と誤伝していますが、再建の年にして祭神は考霊天皇孝霊の皇女「倭迹々日百襲姫命」で七才の年に大和の国黒田の盧戸より出て八才の時東讃引田の安戸の浦に着く御殿、水主に定め造営せられたとあります。
土地の人は、ここを「大内」と呼び昔日の大内郡の郡名大内町の町名はここに起源となると言われております。
各時代多くの変遷を経、現在に至って居り、明治三十四年三月二十七日国宝となった木造狛犬二点(運慶作)木造御神像八点雷文螺鈿鞍一背大般若経入白木面塗函六十点の外県指定の文化財社宝も数多く秘宝しております。

 

掲示板記載の配置図にあるように、この水主神社には「御陵」があります。

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もともと(平安末期)は那智山の麓に鎮座していたらしいので、御神陵は神社共々移遷されたのか、現地にあったのかは不明です。見るところ比較的新しいものに見えますから後世に移動させたのかもしれませんね。
 
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空海手掘りの井戸の上には水神社。
ちょっと空海本人かは怪しいですが。雰囲気はとてもいい場所にあります。(笑)
 
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孝霊天皇の血縁(天佐自能和氣神社) - awa-otoko’s blog

倭迹々日百襲姫命父である孝霊天皇の社が境内に祀られています。
弟は不動町に祀られていますよね。
 
このように今でこそ香川県徳島県でわかれていますが、古代讃岐の一部は倭(阿波)の範囲内であったと思われます。