倭迹迹日百襲姫命の殯宮跡(箸供養)
「箸で陰(ほと)をつきて薨(かむさ)らりましぬ、乃(すなわち)大市に葬りまつる、故時人(かれときのひと)、其の墓を号(なづ)けて、箸墓といふ」
大市とは阿波市市場町のこと。
箸墓とは箸供養の地名を指します。
また箸で陰をついたことから箸のタタリを封じる箸供養の行事を盛大に挙行したと云われ、それ以来この地名が「箸供養」となったそうです。
奈良県桜井市の箸墓は後世に移遷されたものでしょう。(箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命に治定)箸墓古墳 - Wikipedia
あ、まだ倭迹迹日百襲姫命について書いていませんでした。倭迹迹日百襲姫命 - Wikipedia
それでは讃岐の水主神社に伝わる伝承から。
倭迹迹日百襲姫命都の黒田宮にて、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られお船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きところを求めて、8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれた。土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる。
黒田宮とは黒田の廬戸宮。(国府町芝原の近辺に西黒田、東黒田の地名が残る)
さて、結論に至ったところで本日はひじょうに寒かったのですが現地に状況を確認しに行ってきました。
(阿波古代史を記した書籍「大嘗祭」に掲載されている箸供養の写真)
(本日私が撮影した写真)
昔は鳥居と祠があったみたいですが、今は確認できませんでした。
周囲は厳重に立入禁止(とは書いてなが)っぽいので遠まきに見ておりました。
現地の池、東側にこのような祠を発見!