awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

倭迹迹日百襲姫命の殯宮跡(箸供養)

 

「箸で陰(ほと)をつきて薨(かむさ)らりましぬ、乃(すなわち)大市に葬りまつる、故時人(かれときのひと)、其の墓を号(なづ)けて、箸墓といふ」
 
孝霊天皇の御子 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)。日本書記 崇神天皇条に記された殯宮造営の内容です。
 

大市とは阿波市市場町のこと。
箸墓とは箸供養の地名を指します。f:id:awa-otoko:20141206182826j:plain

 
その他、「大坂山の石を運びて造る」とあるのですが、それは市場町から香川県に向かう街道、東かがわ市にある大坂山のこと。
また箸で陰をついたことから箸のタタリを封じる箸供養の行事を盛大に挙行したと云われ、それ以来この地名が「箸供養」となったそうです。
 
奈良県桜井市の箸墓は後世に移遷されたものでしょう。(箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命に治定)箸墓古墳 - Wikipedia
 
あ、まだ倭迹迹日百襲姫命について書いていませんでした。倭迹迹日百襲姫命 - Wikipedia
 
それでは讃岐の水主神社に伝わる伝承から。
倭迹迹日百襲姫命都の黒田宮にて、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られお船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きところを求めて、8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれた。土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる。
黒田宮とは黒田の廬戸宮。(国府町芝原の近辺に西黒田、東黒田の地名が残る)
孝霊天皇国府町芝原宮ノ本 「芝原八幡神社」の地に宮を構えていました。
 
孝霊天皇とともに吉野川を舟で西に渡り、市場町の大坂山を越えて讃岐の水主神社周辺で治水を行いながら生活したのではないでしょうか。(孝霊天皇とともにと書いたのは水主神社に孝霊天皇神社があるから。)
 
このように孝霊天皇の宮である黒田の廬戸宮、弟を祀る天佐自能別神社(若宮社)、箸供養の位置。そして讃岐の倭迹迹日百襲姫命の伝承は記紀の説話に当てはめると全て合致します。
 
さて、結論に至ったところで本日はひじょうに寒かったのですが現地に状況を確認しに行ってきました。
 
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(阿波古代史を記した書籍「大嘗祭」に掲載されている箸供養の写真)
 
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(本日私が撮影した写真)
 
昔は鳥居と祠があったみたいですが、今は確認できませんでした。
周囲は厳重に立入禁止(とは書いてなが)っぽいので遠まきに見ておりました。
現地の池、東側にこのような祠を発見!
 
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「野神宮」だそうです。
 
現地の方はこの箸供養の地に上記のような伝承があることをたぶん知りません。
 
これは私の妄想ですが、古より祀られていた倭迹迹日百襲姫命の殯宮は忘れられ、造られた堀は後世には用水路と池に変わった。
当然祠も祭神も忘れられて移遷した場所がこの「野神宮」。
祭神が不明だから「野」、神宮なんて簡単につけませんよ。殯宮の名残りでしょう。
 
ともあれ、祀られていることだけでも安心しました。
 
せっかく伝承で照合していたに最後に妄想で台無しにしてしまいましたが、こちら阿波市市場町阿波町周囲は本当に興味に尽きない場所。また調べてみます。