大宜都比売命と八柱の随神(阿南 賀志波比賣神社、津峯神社)
この八柱神とは以下の神と考えます。
・若山咋神:小山を意味する神
・若年神:若い稲を意味する神
・若沙那売神:田植えを意味する神
・弥豆麻岐神:田に水を引くことを意味する神
・夏高津日神(夏之売神):夏の日の高さを意味する神(稲の育成に不可欠、そして太陽神でもある)
・秋毘売神:秋の稲を取り入れを意味する神
・久々年神(冬年神):夏、秋に続く冬を意味する神
これら八柱の神々は生まれた順番から稲の成育を示したそれぞれ稲作になくてはならないエレメントを現した神であります。(もうこれだけで稲荷神と呼んでもいいくらい… )
この中から「若室神」は粟国造粟飯原家の阿波女社祖系より紹介しました。
今回は夏高津日神(夏之売神)こと「賀志波比賣命」で。
(賀志波比賣神社 境内の碑)
(禊岩と小門神社)
でも、、、私はあくまで「大宜都比売命の御子」として考えたいんです。(笑)
賀志波比賣神社 在 那賀郡大泻號 津峯権現
祭神一座 賀之比賣命
古事記云 羽山戸神 娶 大気都比売神 生 夏高津日神、亦名 夏之賣神 按 阿波國魂 大粟姫ノ御子ナリ
古事記に曰、羽山戸神 大宣都比賣を娶て夏高津日神 亦名 夏之売神を生む、述者の按に羽山戸は伊予の大山祇今云う三島の神是なり、大宣都姫は阿波の国主也、当社は山の麓に在りしを所の郷民に因て今の山上に遷す、是は年歴久しからずと尤も麓の社も猶存せり、此社真に古し、樹木繁茂せり、毎年臘晦の夜竜燈あがる」と。
賀志波比賣神社
「賀志波比売延喜式亦小祀と為す、水潟村南津峰に在り、今津峰権現と称す、旧北麓に在り、木材蒼然古松一株其の大きさ比なし、昔日封田若干在り」と見える。
津峯神社
旧郷社、神饌幣帛料供進社、延喜式内社。
社伝では神亀元年(724年)、神託により国家鎮護・延命長寿の神として賀志波比賣命を霊山・津峰山の山頂に祀ったのに始まると伝える。
確かに賀志波比賣神社や津峯神社は青木(あわき:阿波岐の訛化)の近くに鎮座神社していることから、その祭神 賀志波比賣命を天照大御神であると考えたいですが、断定するのはちょっと早合点だと思います。(でも筑紫の小戸の阿波岐原はこの地で間違いないと思っています。)
賀志波比賣命が存在したならば母である大宜都比売命もその場所に存在した訳です。
また、大宜都比売命も「勝浦の山を超えて神山に来た」という伝承がある以上、その候補に入るはず。
私の調査内容から言えることは…
・蜂須賀家は粟の神 大宜都比売命を祭祀する上一宮社、下一宮社の崇敬は薄く、稲の神、太陽神の賀志波比賣命をより崇敬し、蜂須賀家の守護神とした。
(津峯神社 由緒書)
ところでテーマの八柱の随神はどうなったのか?
「大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州」はすべて空の国であったので大宜都比賣と八柱の御子の根別の国となった。
ちょっと難しいわな。笑…
書きたいことを分け分けして、話もばらばらになってしまいましたが、とりあえず今回は賀志波比賣神社と津峯神社の紹介ということ流して下さい。
大宜都比売命、その他の随神の阿波での所在については現在調査中ですw
2015.12.3追記
ちなみにデスラー様に回答した夏之比賣神の内容は松浦年長の結論です。