大宜都比売命・阿波咩命・天照大神・卑弥呼を結ぶ平行四辺形
一宮太夫略系
若室神九世孫佐人 佐人ヨリ十世豊茂ヨリ十六世宗成ヨリ小笠原宮内大夫長宗江祭官傳神禄傳之(異本阿波志より)
大宜都比売命 即ち阿波咩命の系図「阿波女社宮主系」が「粟国造 粟飯原系図」であり、こちらが一宮神社所蔵であったものであるということは以前に述べた通り。
大宜都比売(阿波咩命)は粟国造粟凡直等所産神是也 。皇子の若室神は粟国造祖也。
祖神を阿波咩命とし、其始祖を若寶神(若室神)と為す。
若寶神(若室神)より天磐門之神、健豊神、健忽神となす。
若寶神(若室神)より多久里彦神、八倉主神、宇賀主神、畠多神等数世の諸神相継ぎ、後を佐人と言ふ。
佐人より加田彦、於志翁、屋邦男、岩肩彦、豊長彦、里利天、興利彦、田理彦、豊茂理、豊成、兼諸、経宗、忠成、忠宗、宗長、宗信、宗國、宗麿、宗堅、宗統、昌宗、時宗、宗行の二十世を経て祖神より二十四世を国造家宗成と言ふ。
宗成に至り祭神を以て神禄付属を祭官小笠原宮内大輔長宗に傳へしと知る。
一宮氏
入田邑或ハ神領村ニ住 修験名東名西二郡触頭良蔵院ハ上古者大粟姫ノ国造ノ家也、然ルニ小笠原弾正少弼従四位下侍従〈東鑑曰阿波ノ弥太郎長経〉阿波ニ来テ大西ニ住シテ四代目小笠原蔵人太郎左衛門佐長義ノ舎弟一宮宮内大輔四郎長宗是一宮氏ノ元祖也、粟国造ノ養子トナリテ名東名西二郡ノ守護ヲ兼テ凡六千貫ノ地ヲ領シ鎌倉エ参勤ス(阿波志より)
時は流れ、小笠原長宗が養子として入った家が「大粟姫ノ国造ノ家」であり、江戸時代には名東名西ニ郡の修験の触頭であった良蔵院となっていた家であったことが「阿波志」にも記されています。
このように「粟国造」の伝承が名西郡神山町神領及び周辺には数々伝えられており、その一端として神山町粟生野に上一宮大粟神社の祭官が拠ったとされる「国造館」が所在し、神領にその別館「国造別館」があったとされる伝承もあります。
「国造館」の伝承地がある神山町下分字「粟生野」は高根山から連なる山裾にある地域です。
「粟生野」から南西方向の高根山には卑弥呼の居城跡と伝わる「悲願寺」。
「悲願寺」から真東方向には「御馬石」。
「御馬石」から北東の方向には「上一宮大粟神社」が鎮座します。
「上一宮大粟神社」から真西が「粟生野」即ち「国造館」が。
主に大宜都比売命伝承が強いですが、辰砂(丹)の移動経路も含まれることから、大宜都比売命(阿波咩命)が巫女(シャーマン)的な役割も担っていたことも考えられ、卑弥呼・天照大神と混在して伝承された可能性が高いと思われます。
若しくは阿波女社宮主系=卑弥呼にも繋がる可能性も…
全てを繋ぐ具体的な資料は出てきていませんが、断片的に繋がりが見えてきたように思います。
手掛かりが出てくるならこの平行四辺形エリア内でしょう。
今後の調査に期待します。