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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

筑紫の日向の小戸の阿波岐原(阿南市 橘湾周辺)

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日本書紀」神代第五段によると、イザナギはまず粟の門(あわのみなと)、速吸名門(はやすいなと)で禊をしようとしたが潮流が速いため、「橘の小戸」で禊をすることになったとあります。
 
江戸末期の文献「阿波志」には、
「粟の門」は阿波の水門で阿淡の海口なり。とあり、これは鳴門海峡のことを指し、「速吸の門」は鳴門海峡であると書かれています。
 
「橘の小戸」とは阿南市橘湾の港。
「橘の小戸」は「海神の宮」とを結ぶ港であり、橘湾に面した阿南市福井町の地名に「古津」、「湊」があり、「小戸」に似ている「後戸(うしろど)があります。
 
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阿南市福井町大宮には「大宮八幡神社」が鎮座し、明治四年に綿津見神を祀る「龍王神社」を合祀しています。

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大宮とは宮中、皇居の意味があり、「大宮八幡神社」が鎮座する福井町には中世に福井庄(荘園)が存在し、皇室領でありました。
 
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これは皇祖である天照大神(大日孁神)の生誕地を保護するために皇室領としたと推測できます。
 
「阿波岐原」については「檍原(あわぎはら)」とも表記され、「檍」は梓の属、また橿木(かしわぎ)、桑、さらには地名の「青木」を阿波岐原とする諸説があります。
阿南市には青木の地名が見能林町、橘町、内原町、七見町にあり、柏野は見能林町、桑は桑野町があります。
しかしここは単純に「阿波の岐(みなと)にある平野」の意味で良いと思います。
 
「筑紫」とは、九州ではなく「津串(つくし)」のこと。
 
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串のように突き出た岬のことであり蒲生田岬、椿泊は正に串状に突出している岬で舟泊りがある場所です。
 
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「日向」とは朝日の向っている場所。東方に障害物がなく朝日が直に当たる場所のことを意味します。
阿南の橘湾はその条件に一致します。
 
「日向」が阿南の橘湾周辺であることの補足として、応神天皇の妃である「日向の泉長比賣」は阿波国那賀郡の和泉郷出自の姫で、仁徳天皇の妃「日向の諸県の君、牛諸の娘、髪長比賣」とあるのは阿南市上中町の地名からつけてられたものであります。
よって日向は阿波の長国(那賀郡)に存在していた場所であることが証明できます。
 
総合して「筑紫の日向の小戸の阿波岐原」は阿波の長国 橘湾周辺のことを指しているのです。