awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

元祖 忠犬の墓

 
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捕鳥部 万(ととりべ の よろず、生年不詳 - 用明天皇2年(587年)7月)は、飛鳥時代の武人。姓はなし。
捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部。物部氏の本拠である河内国には、鳥取部の伴造氏族で、角凝魂命の三世の孫である天湯川田奈命の後裔を称する無姓の鳥取氏があり、万もこの一族の可能性がある。
物部守屋に仕えた。用明天皇2年(587年)、丁未の乱では物部方に属して戦った。主君の守屋が討たれたのを聞いて逃亡し、なおも朝廷の兵士を防ぎ続けるが、やがて自刃した。朝廷の命令により死体はバラバラにされ晒されたが、万の飼っていた白犬は万の頭を咥えて古い墓に収めると、万の頭のそばに臥して横たわり、やがて餓死したという。
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物部守屋は阿波の難波(市場町奈良坂付近)に居を構え、この屋敷の留守番役であった「捕鳥部の万」と「忠犬シロ」を葬った場所が市場町の犬墓山です。
 
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以後この地方は犬墓村と呼ばれ、現在も「戌の墓」として残されているのであります。 
 
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もちろん空海もこれを確認しに現地に赴いたようで「捕鳥部の万 忠犬シロ」の話が現在は「空海の飼犬」の話にすり替わって伝承されています。
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愛犬を連れて四国を巡行していたお大師さんが、この地でイノシシに襲われた。お大師さんを守ろうとした愛犬が傷を負って命を落としてしまい、お大師さんはその死を悼み葬った。
 
犬墓という地名は平成の大合併阿波市の誕生とともに住所表記から消えましたが、現在は旧町名や一部の大字名が復活し、犬墓の名も戻っています。
 
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ちょっと寂しい雰囲気が漂う場所ですが、お近くに赴きの際は元祖忠犬「捕鳥部の万 忠犬シロ」の墓に是非お立ち寄りくださいませ。

 

犬墓の東側には伊笠山もございます。。。 

城王山の九王野神社(三諸山) - awa-otoko’s blog