阿波の神に祟られた天皇(崇神天皇)
以前に書いた「大国魂神社」の記事とかぶるところもありますがご容赦下さい。(ボソっ。。。)
宮居である師木水垣宮の「師木(しき)」とは河川敷、敷地、敷島などに用いられ、敷とは川の中、川辺、川口で土砂が堆積した場所の形容詞として使用されていたようです。阿波説では古代、周囲を水に囲まれていた「美馬郡半田町天皇」の地名が残る小高い丘を「師木水垣宮」に比定しています。
吉野川上流より下流に至る王達の頂点に立った大王です。
倭(阿波)国内で王中の王に登りつめたことで、「初国知らす大王」と呼ばれるようになりました。
しかし、「倭(阿波)の大王」である「御真木天皇」でもどうすることもできない災難に見舞われることになります。
御真木天皇の御宇、師木水垣宮に疫病が蔓延して多くの民が死ぬという大変な出来事が発生したのです。
(大田々根子は美馬郡美農郷に居住地し、大田村、種穂山一帯を支配する大人(うし))
そして伊加々志男をして「倭大国魂神宮」、「倭大国敷神宮」を倭岐(わき:脇町)に建立させています。
この時点で「大国主命」を「倭(阿波)の神」として祀り上げたことはお分かり頂けるでしょうか。
このように「大国主命(一族)」に祟られた「御真木天皇」が、大国主命を倭(阿波)の神として祀ったのが発端となり「大穴牟遅(おおなむち)」、「八鉾神(やちほこしん)、「伊和の大神」となって広がっていきました。
「伊」と「阿」は同義語。
「伊和大神」、即ち「阿和(波)の大神」。