丹摺石(丹生谷)
丹摺(にずり)とは、古事記に記された物語の時代に行われた阿波のみの習慣です。
那賀郡と勝浦郡との境の加茂谷は空海が「面足(おもだる)命下り居ませし、磯輪上乃秀真国(しわがみのほつまのくに)之阿波国也」と縁起を納めた太龍寺の一帯は、日本有数の丹鉱床がある場所。その中の水井(すいい)の丹鉱床跡が我国最古の丹製産地とされています。
太龍寺窟は古代に「丹」目当てに岩盤を切削し、見つけられた可能性が高いと思います。
「丹」は古代には「天赫(あめのあか)」と呼ばれ、水井の丹では石灰層の間に真っ赤な筋状の鉱脈が走り、この鉱脈に沿って掘り進む中で光で真紅の花のように輝いていたそうです。
「丹」は太古より継承してきた神々の祭祀には欠かせられない重要な宝物でありました。
阿波の古社を参拝していますと、青石の表面に丸いくぼみがついている石段や板碑、柱の台座、石垣が確認できることがあります。
これは棒石で丹をすり潰し、男女共に顔面に塗り、神事を行っていた名残り。
穴が開いている石こそ「丹摺石」
「丹」で染め上げた衣服なども着ていました。
神事におけるフォーマルウェアですね。
また、天皇の乗る舟は「赫舟(あかぶね)」と呼び、これも同じく丹で塗りあげて朱色に着色するものでした。
このように「丹摺(にずり)」は、「儀式」や「誓約」などに用いる神聖なものだったんですね。
「丹摺(にずり)」はのちに印肉を用いる「ハンコ」に変化していくのです。
このように「丹」とは現代の金やダイヤモンドより貴重な宝物。
古代は阿波以外では入手の困難であったようです。
だからこそ、阿波の大王の御陵には「丹」が贅沢に使用されて造営されたのです。
あ、書き忘れたので最後になりましたが、空海は「丹」をはじめとする地下鉱脈を追っていたので各地に井戸伝説が今なお残っています。
とりあえず考えられる場所は掘りに掘りまくったみたいですね〜。