城王山の九王野神社(三諸山)
さて、以前から九王野神社をテーマにして書いておりましたが、最近、新しい発見(妄想)がありましたのでご紹介したいと思います。
「土成町の御所山は御諸山(みもろやま)である。」という説を推していた訳ですが、何と「九王野神社」が別の場所に移遷されていることがわかりました。
その場所とは…
「城王山(じょうおうさん)」
城王山の九号目あたりに「九王野神社」が移遷されておりました。
今まで「御諸山」に比定しておりました「御所山(九王野山)」すぐ隣、北西に位置する山です。
この「城王山」は…
旧阿波郡市場町に聳える山。足利尊氏に追われた新田義宗と脇屋義治が息絶えた山と云われており、中腹の岩野部落の宝庫に遺品を安置している。山頂付近には二人を祀る城王神社が建てられている。(Wikipedia)
なぜ中世の山城跡に「九王野神社」が移遷されたか…
何も関連性がない場所に軽く神様を移動させたりしませんよね。
まず「城王山」とは読みを変えて「しろ王山(白王山)」であったと考えます。
「白」が含まれる地名は古に「祭司者が存在した場所」が多く、この場合、単純に置き換えると「祭司者の王が存在した山」となります。
中世の山城などはさらに昔に存在していた遺跡、または神社跡などの石塁を利用して建設されることが多く、あながち勘は外れてないように(勝手に)納得しております。(笑)
現に「城王山」の山頂付近は…
修験道の行場でもあったようで、現在も神気漂う雰囲気は遜色ない状態であります。(神気ビキビキです)
それではこの「城王山」が「御諸山」だったのでしょうか。
「御諸山」とは日本書紀では「三諸山」と記載され、「みもろ」とは「神籬(ひもろぎ)」を指しているそうです。
このことから…
「ひもろぎがある三つの山」と考えることができます。
それらを比定する三つの山は
「御所山」、「城王山」、「伊笠山」に古代より「ひもろぎ」がある(あった)山ではないかという事なのです。
(左:伊笠山、中央:城王山、右:御所山)
「倭の青垣東の山上に伊都岐奉れ」(古事記神代巻、大国主命条)
「倭の青垣」は倭に神そそる群巒を「青垣」に親しみ譬へていること。
「東の山」とは即ち「三諸山」を指し、これは悠久の古「三諸山」を中心とする「倭 群山」の山頂に「天日」を奉斎する事実を換骨奪胎して出雲系の習合させた神話である。
(換骨奪胎:《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。)
即ち、一のひもろぎがあった「御所山」には「少彦名命」。
二つ目のひもろぎのある「城王山」に「大物主命(大国主命の奇魂幸魂)」。
三つのひもろぎ山、「伊笠山」には「大己貴命(もしかすると金比羅かも)」。
以上の山に出雲系神を祀り、これらの「三諸山」のみに「九王野神社」を祀る資格があるのではないかということです。
あくまで紹介した内容は私の妄想ですからあてにはなりません。そしてその真実は神代の昔よりそのまた昔のこと。
真実の確証を得るに至りませんが、出雲の神々の痕跡が土成町、市場町を含め、美馬に至るまで残されている伝承や記録をさらに深く調査をすれば新しい発見が見つかる可能性はあると思っています。