awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

平清盛と宮内八鉾

徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命延喜式内社であります。

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この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されています。
 
その他「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されていますから、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となりますね。
 
個別に紹介しますと、
 
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一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」となります。
 
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この中の「二品家政所 下文」、「附紺紙金泥法華経」については昔の文献に記録がありましたので引用しておきます。
那賀郡竹原野の郷の内にて、宮内村八鉾の神社は延喜式内の社なり、古は大社にて有りけるや、華表の池中に埋たる木太さ一丈五尺廻り其の二本の間は二十間有りと云ふ、二条帝の御宇に一院(則後白河院法王也)の御領分此の竹原野にも有りしに、毎歳貢物を京師迄上さしめ給ひしに、数度海上にて風波難有りて船を覆す、依りて長寛元年九月れ、廿五日に此の八鉾の神官等迄二品政所より下し文有り、又紺紙金泥の法華経一部並開結阿弥陀、般若心経等各一巻を送奉し、且当庄の水田五段を寄給て社領とし、此の貢物風波の難をしづめやを事並に二品家の子息等も此の神の冥助を祈るの文体有り、此の下し文並に諸経巻今に別当八鉾寺の什宝とす、其の比は専ら平清盛なりし時なれば此の二品家は清盛公なるにや、又は他の摂政の御方にや。
現在、発行人については諸説あるようですが、当時は平清盛では?と書かれています。
どうなんですかね。(笑)
 
このように平清盛もそうですが、源義経も阿波上陸の際には多分に阿波の古社を意識しながら移動しています。中世では阿波旧跡伝承がまだ色濃く残っていたのでしょう。
 
これも追って紹介しようと思っています。
 
 
 
さて、、、
 

この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられております。

上の文献にも「華表の池中に埋まりたる木太さ一丈五尺廻り其の二本の間は二十間有りと云ふ…」とあるように古の社としてはかなり規模が大きい社であったようです。
 
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八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。
出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味しています。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名です。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けましたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となりました。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシえべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいます。
コトシロヌシは、式内社事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、タケミナカタは、式内社のタケミナトミ神社として石井町浦庄字諏訪に祀られています。
平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社やタケミナトミ神社等の神社は、阿波にしかありません。(境内 掲示板より)
 
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今日はここまで。
また新しい情報が見つかれば追記します。