awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

豊穂ハ豊茂理亦ハ豊成ナドノコトニヤ

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続日本紀 延暦二年十二月甲辰阿波人正六位上粟凡直豊穂任國造トアリ、粟国造ノ本姓 粟凡直ナル事ヲ知ル可シ。「豊穂 」ハ「豊茂理」亦ハ「豊成」ナトノ事ニヤ。

続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。(Wikipediaより)

f:id:awa-otoko:20170116223758j:image(阿波女社祖系図)

一宮社にて伝承されていた阿波女社祖系に図にも豊茂理、豊成の名は記載されています。「大粟宮由来伝記(下巻)」では続日本紀に登場する阿波人正六位上粟凡直豊穂について「粟国造粟凡直 粟飯原氏系図」の系譜にある 豊茂理、または豊成に該当するのではないかとしております。

【粟国造粟凡直 粟飯原氏系図】
伊邪那岐神伊邪那美神 - 撞賢木厳之御魂天疎向津比賣命 - 月夜見命 - 八嶋士奴美神 - 天之冬衣神 - 大国主神 - 積羽八重事代主神・大宜都比賣神 - 若室神 - 天磐門主神 - 健豊神 - 健忍方神 - 多久理比古神 - 八倉主神 - 宇賀主神 - 畠多神 - 佐人 - 賀由比古 - 於志翁 - 屋那男 - 岩肩比古 - 豊長比古 - 里利夫 - 興利比古 - 田茂理 - 豊茂理 - 豊成 - 兼諸 - 経宗 - 忠成 - 忠宗 - 宗長 - 宗信 - 宗國 - 宗広 - 宗堅 - 宗親 - 宗昌 - 宗時 - 宗行 - 宗成 - 明宗 - 満胤

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f:id:awa-otoko:20170116224701j:image(粟国造粟凡直 粟飯原氏系図)

粟飯原家は昔より「上山の三日月」といえば国内にだれも知らない者がない家柄。代々当主となるべき者には体の一部に三日月の痣が現れていたと。またその者達は阿波の祖神である大宜都比売命の子孫であり、代々国造として名西山分を支配し、一宮大粟神社の神官をしていたというところはこれまで紹介してきた内容であります。

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同紀 神護景雲元年三月乙丑阿波國板野名方阿波等三郡百姓言曰己等姓庚午籍被…(略)此三郡百姓ハ粟凡直姓ニテ粟国造同姓然レバ其百姓ハ此神ノ氏人ニテ今板野阿波名東名西郡ノ地ハ昔ハ此大神之氏地也。

三日月家と同じ祖をルーツとする一族は時代を経て阿波の板野・阿波・名方の三郡に拡散します。板野・阿波・名方郡の人民は神ノ氏人たる粟凡直の末裔であり、当地(上の三郡)は神之氏地と伝えられきました。 

こちらの内容に精通している方はお気づきかもしれませんが、名方郡と板野・阿波郡に挟まれた場所の麻植郡が神(大宜都比売命)の氏地として含まれていません。もともと神代の時代では粟国造粟凡直も忌部氏も同族でした。現在の天石門別八倉比賣神社、大麻比古神社忌部氏所縁の社とされるのは後の時代からの付会も含まれていると個人的に考えています。これに踏まえた内容もおいおい投稿したいですが、、、(いつになることやら… )

とりあえず今回は粟国造粟凡直 粟飯原氏系図の紹介と粟飯原氏に繋がる手掛かりの紹介に留めます。ちなみに豊茂理、豊成の他にも系譜に含まれる畠多神、佐人のどちらかも… 千波足尼だったとか。。。こちらも機会があれば詳しく書きたいですね。

大宜都比売命の夫神が積羽八重事代主命=味鉏高彦根命と比定できるように大宜都比売命の兄とされる天日鷲命の正体が何者なのかを調査すれば忌部の謎(一端ですが)解けますよ。