awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

ヲカノカミはウカノカミ(板野町 岡上神社)

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岡ノ宮といふ地名も岡上神社あるよりて屓ひし名か 又岡と云ふ地名ありて其処にある社なれば やがて岡上ノ神と申ししか其先後はしるべからざれど いづれ岡ノ上といふ地名も近き世に云ひ出せしこととも聞こえねば必今の社なるべし 又祭神を豊宇氣毘賣神なり
ウケオカ通音毘を省き賣上(メヘ)は横に通といひ神名秘書曰云云 豊宇賀能賣神後の書なれど此によれば尚近しといへど もとより通音にはあれどもウガヒメといふをヲカノへといひし例もなければ此説にはよりがたかるべし
さて、岡上神社です。
ちなみに投稿 200回!!(おめ!)
岡上は延喜式の小社。主祭神豊受姫命であります。
 
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岡上神社の境内にある楠の大木は昔から「御神鏡木」と唱えられており、岡上神社もこの楠の大木の下に鎮座していたのを後に岡宮の山上に移したものだと伝えられております。
 
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また寿永の昔、源義経屋島の平家を討たんとした道中に岡上神社に立ち寄って武運を祈願したり、応仁の乱(一四六七)の最中、毎日にように降り続く雨で稲が腐り、困った村人達は五穀の祖神である岡上大明神に祈願し、その秋は五穀が実って飢餓から免れたとなど伝承が残されております。(岡上神社は資料が少ないんでね… 内容がかぶるのですよ… )
 
さて、本題に入る前にこちらも読んでみてください。
Wikipediaからの引用です。
 
ウカノミタマ
延喜式祝詞
神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神とは同一視されてきた。
中でも、トヨウケビメとは早くから同一視され、平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)ではトヨウケヒメについて、「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明している。「ミタマ」とは神秘的な生命力を意味する。
また、産屋の戸口に稲束を置いたり、屋中で散米するなど、稲の霊には邪気を祓う神威があるとしている。
このように、食物の持つ生命力や稲霊は女性的なものと考えられていた。
神道五部書
御稲御倉(みしねのみくら)
伊勢神宮・内宮
鎌倉時代伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。
その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。
また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。
外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。これイザナギイザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。
また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神ウケモチ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とはこれなるなり。
また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。
故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。
記紀神話に登場する食物神は、天照大神天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる。
また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている。
 
これで分かりましたか?
豊受比賣・倉稲魂= 大宜都比売命とされているのです。
 
 
それでは本題に入りましょうか。
 
前回では宇賀ノ神こと葦稲羽神、物忌奈命と若室神について書きました。
 
結論から言うとこの岡上神社は隣町に鎮座していた葦稲羽神(葦稲葉神社)が粟凡直一族により勧請された可能性が高いと考えています。
 
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そもそも岡上神社の約100㍍南には古墳(塚穴)があったそうで、原初はその古墳を祭祀した社であったのかもしれません。
また、その古墳と岡上神社は何らかの深い関係性が考えられ、その塚穴に埋葬された人物は… 阿波女社宮祖系の流れをくむ粟凡直一族であった。
 
即ち大宜都比売命 直系の血筋である人物ということです。
 
その他、岡上神社の立派な朱の鳥居から石段の左手の竹やぶには古代の窯跡が発見されており、また境内からは勾玉などが出土していることから一族の生活と祭祀場のちょうど中間のエリアであったことも想定できると付け加えおきましょう。
 
 
さて、本題を書ききったので(苦笑… )、倉稲魂こと稲荷神についてちょっと書いておきます。
 
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稲荷神と狐
稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。
狐は古来より日本人にとって神聖視されてきており、早くも和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場する。
宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。
なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。 
稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。
江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。
また仏教荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。
稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司およびそれに使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。
ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。(Wikipediaより)
 
という訳で稲荷神とはもともと狐神ではなく荼枳尼天が倉稲魂と習合されてしまったが故のことなのでございます。
 
阿波の稲荷神(倉稲魂)とは大宜都比売命とその御子たちのこと。
 
空海が狐を追い出したというのは大宜都比売命の様々な側面から荒御魂を他の神として阿波国外に出し、和御霊を阿波の国魂としたかったのかもしれませんね。
 
大宜都比売命シリーズ、丹からも追わないとまとまらないのでもう少し続く… かも。(笑)
 
 
【オマケ】
 
かの松浦年長は岡上神社の祭神を「石凝姥命」としております。こちらの内容でも大宜都比売命・稲荷神と関係性は含まれるのです。また複合した神名を読み解かないと謎が解けません。
読める人は謎を解いてみてください。
なかなかすごい内容を書いてますよ。
 
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やはり阿波の神 … なかなか奥が深くて一筋縄ではいきませんね。(笑)