awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大宜都比売命、伊勢までの足取り

 

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いやぁ〜、参りました。。。
私的なことですが今迄阿波の神社巡りをした時の記録、写真データが消滅してしまいました。。。(苦笑)みなさんバックアップは確実にしておきましょうね。
という訳で急遽考えていたテーマを変更して、手前味噌ですが今回のテーマにしてみました。突然の思いつきのチープな説ですがご容赦下さい。
細かいことを指摘しないように。(笑)
 
さて、神山町 上一宮大粟神社 祭神の大宜都比売命は豊受大神保食神、倉稲魂神が同神であることは有名です。伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神伏見稲荷大社の倉稲魂神も同神であることも周知の事実であります。
 
今回は大宜都比売命が豊受大神となり伊勢神宮 外宮まで進出した経路を考えてみたいと思います。
 
まずは復習も兼ねて上一宮大粟神社、中一宮鬼籠野神社、下一宮神社の説明を。
 
●上一宮大粟神社
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神領村字西上角にあり大宜都比売命を祀る郷社たり、名東郡一宮村一宮神社と元仝一体、また矢野村八倉比賣神社とは其祀神を同うせり、即一國一宮とすれば二社の中其一社は正に除かるべきものなり、本社は往昔大粟山の絶頂たる天邊の丸に鎮座せしが、其後現に拝殿石を有する古芝の地に移り、更に現在の地に鎮座するに至りたるものにて、村民の崇敬他に異るものあり、其一宮の稱号、大粟山の由来、神領村名の原由、兵亂と神祿、蜂須賀家の崇敬、祭官及分靈等に付深く研究考証する處あり。
 
●中一宮鬼籠野神社
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神山町鬼籠野字東分に鎮座。一間社春日造の社殿で、神領に鎮座する上一宮大粟神社の分霊を奉祀したものである。江戸時代には神仏習合の「中一宮大明神」と称していた。
 
●下一宮神社
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一宮神社は上八万村一宮にあり大宜都比売命を祀る。元一宮山上 明神峯にありしを天正以後今の北麓に移せり、其國初にありては鬼籠野村にあり、現時の神領、鬼籠野、一宮を合して一宮領たりしも、中世上下に分かち神領、鬼籠野の両村は上一宮、一宮村は下一宮と稱し、後世更に下の一字を畧して一宮と呼び以つて今日に至れり。
従つて神領村大粟神社と仝じく祭神を大粟比賣命或は大宜都比売命と稱せり。
 
余談となりますが注目すべきは下一宮神社。
一宮神社には「阿波女(あわめ)社」国造家の系図が所蔵されていたとのことで、「阿波女社宮主祖系」を取り入れた「粟国造粟飯原家系図」が残されております。
これには積羽八重事代主神の后神として「粟国魂 大宜都比売命」の名が見え、その別名として「大阿波女神(おおあわめ)」、「阿波女神(あわめ)」、「阿波波神(あわわのかみ)」、「阿波神」、「天津羽羽神(あまつはは)」、「天石門別八倉比賣神」、「天石門別豊玉姫神」と記載されているのです。(大宜都比売命=阿波咩(あわめ)は驚きなのですが、こちらは今回のテーマとは別の系統になるのでまたの機会に。稲荷も同じくです。)
 
話を戻します。
その他に海を越えて和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座する「丹生都比賣神社」には大宜都比売命を祀り、別名を「気比大神」とするとありますので、この内容から「気比大神」=「大宜都比売命」と考えます。
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板野町 気比神社)
 
また上板町に鎮座していた鹿江比賣という神も大宜都比売命が変化した神であると考えます。
(参考:拙ブログ 葦稲葉神社はどこに鎮座していたか。から。)
 
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(上板町 殿宮神社)
 
という訳で、大宜都比売命の大元である上一宮大粟神社より、中一宮、下一宮で北上しながら国府町 天石門別八倉比賣神社へ。
 
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(国府町 天石門別八倉比賣神社)
 
そして吉野川を跨いだ真北には板野郡板野町に気比神社があり、さらに北に進み上板町 鹿江比賣神社、そこから東に進んだ山麓には岡上神社。
 
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板野町 岡上神社)
 
気比大神と大宜都比売命が同神と考えるのならば板野町気比神社もルートの一端として考えても良いでしょう。そして岡上神社の祭神は大宜都比売命であります。)
さらにその東には現在の阿波一宮である大麻比古神社が鎮座します。こちらは大鳥居の片隅に建てらている祠が鹿江比賣神社の比定社となり、大宜都比売命の痕跡が疑えます。
 
さらにそこから真東に進むと鳴門市撫養町木津に鎮座する「丹生神社」という大宜都比売命繋がりで経路を見いだすことができるのです。
鳴門市木津の「丹生神社」については紀州「丹生都比賣神社」からの勧請と由緒にあるのですが、私は寧ろ阿波から大宜都比売命が紀州に渡ったと考えています。
そして鳴門内の海 堂ノ浦の対岸に鎮座する阿波井神社。こちらも祭神は大宜都比売命です。
 
これまでの繋がりから関連する神社を辿ってみると…
 
上一宮大粟神社(神山町祭神:大宜都比売命→
 
中一宮鬼籠野神社 (神山町祭神:阿波咩→
 
下一宮神社(一宮町祭神:大宜都比売命、阿波咩→
 
天石門別八倉比賣神社 稲荷社(国府町)祭神:倉稲魂神→
 
気比神社(板野町祭神気比大神、大宜都比売命→
 
鹿江比賣神社(上板町)祭神:鹿江比賣、倉稲魂、大宜都比売命→
 
岡上神社(板野町祭神:大宜都比売命→
 
大麻比古神社(鹿江比賣神社)(鳴門)祭神:鹿江比賣→
 
丹生神社(鳴門)祭神:大宜都比売命→
 
阿波井神社(鳴門)祭神:大宜都比売命→
 
丹生都比賣神社(和歌山)祭神:大宜都比売命→
 
伊勢神宮 外宮(三重)祭神:豊受大神 
以上のルートが考えられます。
 
こちらの地図は水位を7mほどあげた状態で古代阿波の地形を再現しています。
 
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赤丸は大宜都比売命に所縁のある神社鎮座地です。
 
さらに想定されるルートを黄色矢印で書き込んでみました。
 
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これによると神山町神領から海を目指して進み、沿岸部に沿いながら東に進んで進出したことがおわかりいただけるでしょう。
 
このように神山に降臨した大宜都比売命(と関連する神)を辿れば伊勢までのルートが明確になります。
神名はところどころで変っているものの、食物の神という大前提は保ちながら進出しているところをみると大宜都比売命が食物神の大元であり、大まかには上記に近いルートで全国に派生していったと考えられるのです。