源 満仲(みなもと の みつなか)は平安時代中期の武将。清和源氏、六孫王経基の嫡男。 多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。諱は満中とも記され、神号は多田大権現。
中世に至り、源氏の太祖である
多田満仲は僅かな家臣を連れて
神山町神領の高根山(神根山)に住み着きました。
神根谷の入り口、右方の小山の山上にある長満寺が
多田満仲の
墓所になります。
実子 美女丸が僧に籍を置いており、後年に訪れて弔ったとあります。
位牌には「
多田満仲尊儀」と記され、皇統の流れを示していますが、この神根山、神根谷周辺に何らかの源氏発生に纏わる伝承があり、大日孁神(
卑弥呼)の神陵の地を自らの最後の地としたと考えられています。
(もともとは悲願寺に満仲の位牌を安置して弔っていたようですが、後年に長満寺に降ろされたという伝承もあります)
その後、
多田満仲の家臣が住み着ついて現在に至っていますが、その以前「
古事記」の時代までは神陵の地、聖地とされていたようです。
ボリューム少ないのでおまけ
長満寺の裏手にこんもりした小山があります。
確かに中世には城があったようですが、
その上には…
多数の小祠と「出雲神社」が…
今回のテーマである
多田源氏とは関係ないですが、この場所(
神山町)に「出雲神社」が鎮座しているのがちょっと不思議なんです。
神代の昔、上と下で戦争が起こった時、下の戦士は上の城を落とせず、多くの戦士が討たれたそうです。
下とは海人系 出雲(伊豆毛)族。上とは山上農耕民族の大日孁尊こと
卑弥呼です。
もしかすると、この場所に出雲(伊豆毛)の戦士の屍が集められて葬られているのかもしれません…
あくまで推測の話なんですけどね。