下宮神社に合祀された神々の謎
今回は以前に調査していた内容を投稿します。
awa-otokoは現在、阿波の神社学から綺麗さっぱり離れてしまっているのでわからないZEeeeewww!!!! という状態なのです。この場で出してみたら新しい発見があるかも。な感じ。ただ昨日も投稿しているので手短にとたくらんでます。(当然オチなんか考えてない。)
さてさて本題へ。
つるぎ町一宇に鎮座する下宮神社。旧村社で創建年代は不詳。往古は忌部神社の末社であり大宮神社と称していましたが「大」の字を「下」と誤記して下宮五社大明神と呼ぶようになったとい云われています。祭神は猿田彦神命、稲倉魂命、太玉命、大己貴命、大宮売命。だそうです。
☝︎鳥居の横にある目立つ縁起の看板にも書いてあるでしょ。でも見つけてしまったものは仕方ない。勿体ぶらずに速やかに出しますよ。はい。これ。⤵︎
社殿の右側に掲示してある明治期に書かれた當社御祭神の額。読めるかな?読みにくいのですが墨跡を辿れば下宮神社は冒頭に延喜にある通り、猿田彦神命、稲倉魂命、太玉命、大己貴命、大宮売命。で、、、そのあとが面白いんですよ。
(見やすいように色変えてみた。)
三寶神社: 火結命(ほむすびのかみ)
阿閉神社: 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
八坂神社: 神速須佐男命
皇子神社: 国狭槌命(くにさつちのみこと)
明見神社: 天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
野中神社: 抓津姫命(つまつひめのみこと)
山神社: 大山祇命
んー、見る人が見たら唸る内容でしょ。全部書いたら終わらないので抜粋しまーす。
阿閉神社に彦火々出見命。
阿閉神社は今も播磨に鎮座していますが祭神は住吉三神です。海を渡った時に祭神が変わってしまったのか?阿波では彦火々出見ですよ。凄くないですか?あとあの阿閉(あべ)ですから。。。
皇子神社に国狭槌命。
国狭槌命は日本書紀の天地開闢の段に登場する神代七代の神。皇子で国狭槌命を祭祀しているならこれは驚愕でしょう。(ただ同時に大山祇命の神名もあることから大山祇命の皇子である国狭土ノ神を指している可能性も拭えませんが。)
野中神社に抓津姫命。
一説曰 素戔烏尊之子 號曰 五十猛命 妹 大屋姫命 次 抓津姫命 凡三神 亦能分布八十木種 則奉渡於紀伊國 及此國所祭之神是也(先代旧事本紀より)
抓津姫命はスサノオの娘であり、兄が五十猛。直接紀伊国造に繋がってしまいますよ。やばいっすよ。
大山祇命と猿田彦命の二柱は重複して合祀されています。これを考えると当集落周辺では特に祭祀されていた神々だと言えるのですが忌部神ではないのが不思議。神名を置き換えていることも考えられるのでは?
上の写真は境内摂社なんですが見たところ五つの祠があります。まさかこれが五社大明神ではないですよね。(汗)
合祀が多いから地神塔もまとめて置いてます!
ってはい。書けば長くなるので疑問はこれくらいにして。。。そもそも下宮神社は忌部の末社と謳っていますが神名や合祀された社についても忌部神の痕跡が太玉命しか見当たらない。これはどういうことでしょうか。(ガチガチの忌部エリアなのにね。)ともかく、当社の祭神はもとより合祀された神々の謎と当地の関係は調査する必要は大いに有るでしょう。
ということで、調査中の疑問は今回表に出したので誰かに良い考察出して貰うか、あわよくば解明し貰うことを期待してオチがないawa-otokoは早々にドロンいたします。ではまた。(´・Д・)」=3=3=3