二体の本尊
切幡寺には本尊が二体存在する。
一体は正面南を向いているもので、これは弘法大師作の千手観音像である。他の一体は本堂を北に廻って北面に鎮座してる。これは即身成仏した乙女の尊像であり、未だ開帳を許されたことがない秘仏と伝わる。寺号が得度山潅頂院切幡寺というのも以下の物語より生まれしものなのである。
今から千百七十数年前の師走の末、一人の雲水が四国を巡錫し阿波の切幡村にたどり着いた。山麓で機を織る音のする一軒の貧しい農家に立ち寄り報謝を乞うたところ、美しい乙女が出て来て、雲水の労をねぎらいながら精白した稗を三合程差し出した。雲水はそれから三日間同じ家に報謝に行ったが、行く度に機を織る手を止め、精白した粟、麦などを惜しげもなく差し出した。四日目に雲水はその乙女に、「いろいろと頂いた物を入れる袋を作りたいので布を少し分けて欲しい。」と頼むと、乙女はすぐに自分が織っている機の布を断ち雲水に捧げた。
雲水は若い乙女が信心深く無欲なのにいたく感動し、また乙女は気品があり何か由緒ありげに映ったのが気になって身の上を聞いた。「名はおきぬ。父は北面の武士 阿部某という者で無実の罪で投獄され獄死した。観音様を信仰していた母は落胆のあまり夫の後を追い、臨終の際におきぬに「観音様のお堂を建て信仰せよ。」が母の遺言であり、「私は千手観音を刻み衆生を済度するのが悲願なのでございます。」と涙ながらに雲水に話した。
この雲水こそ弘法大師であり、大師はこの乙女の殊勝な志と行為に深く感激し、一夜にして本堂を建立、一刀三礼の千手観音像を彫刻、更に乙女の願いのままに出家得度させ、秘密の潅頂を授けた。そうすると乙女は肉身のまま即身成仏し、千手観音の姿になったそうである。
んー、、、周辺の地域伝承、この物語からは穀物の施しと機織り… 大宜都比売命が何となく匂いますなぁ…。ちなみに切幡寺の北西方向にはマニアには有名⁈ な市場町稲荷鎮座の稲荷神社もございます。さらに奥には「大月」の地名も… (Facebookで掲載したやつな。)
(市場町稲荷 稲荷神社)
はい。話を戻しますと秘仏となっている乙女の尊像は、「穀物の穂を携えている実は大宜都比売命の神像」だからこそ見せることができないのでは???などと勝手にawa-otokoは考えているのでございます。(ご存知の方もいると思いますが、大宜都比売命の本拠地⁈ である名西郡神山町の神領、高根山悲願寺でも千手観音として伝えられているのですよ。大宜都比売命は。)
という訳で切幡寺の千手観音伝説、怪しいですよねぇ。切幡寺の所在地からして怪しいです。これはまた別の機会にご紹介できたらと思います。久しぶりに書いたら疲れたました。今回はこれでお終いにします。あとは切幡寺関連の写真を貼っておきまーす。(・∀・) シャシンヲハルノハラクダカラネ。
(奥之院 八祖大師)
(そーっと覗いてみてごらん。)
(そーっと覗いてみてごらん。)