朝日さし夕日輝く二ツ森 黄金千両有明けの月
吉本神社は川島町学の二ツ森に鎮座する旧村社である。祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神。その昔は「明現(みょうげん)」と称され、宝暦、天保、慶応に記された棟札はみな「明現社」と記録されている。明現とは北極星を神格化した妙見菩薩に因む社号であり、明治期に施行された神仏分離令によって地名から吉本神社と改称したのだという。
その昔は吉本神社社殿の横に何千年とも生きたと思われる大きな楠の木があった。その枝は北の方向の児島までのび、朝日が差すと西の方向の岩津の渕までその影がとどき、夕日が差すとその影は川島の城山までとどいたと云われている。それが理由かはわからないが吉本神社の鎮座する二ツ森には以下の歌が残っている。
「朝日さし夕日輝く二ツ森 黄金千両有明けの月」。
「阿波志」に「工藤伊賀守墓、学村城址に在り、又石在り、高さ一丈余り、その像を彫る、天明中折る」とあり、「阿府志」には「学村に在リ、山地穴観音ノ入り口左ノ方ニアリ、工藤伊賀慶長五年ノ歌アリ、しねん(自然)なる石をしるしとかき置くも、死しての後のかたみともなれ、右歌ノ下ニ自画像ヲ図ス、此石天明年中崩損シテ今ナシ、跡ニ所ノ人小祠ヲ建テ祀レリ」とある。
これは本来学駅から東50mほどの線路南側にあった工藤伊賀守形見の碑のことで、いつの時代か二ツ森西麓に移され、碑に記されていた内容が摩耗してわからなくなり、上記の歌が刻まれていたという人の噂に尾鰭がついて拡散されたそうだ。工藤伊賀守の軍資金を埋めている噂が挙がり、その真偽を確かめようと碑の下を掘った人もいるらしい。二ツ森の上に鎮座していた吉本神社の御神木が埋蔵金に関係していると目星をつけられてのことであったのだろう。
はい。二ツ森の埋蔵金伝説です。この二ツ森はあの有名⁈ な雀獄(浮島八幡宮の元地)の北側に位置します。awa-otokoは工藤伊賀守の軍資金が隠されているのではなく浮島八幡宮の御神宝が隠されているのではないと考えています。(大袈裟だが可能性としてはゼロではない。)
吉本神社とは別に配置された北に位置する春日神社社殿、蛭子神社の地神塔。そもそも二ツ森とは北側の春日神社の森と南側の吉本神社の森、二つの森があることから「二ツ森」と呼ばれるようになったそう。吉本神社は雀獄を意識した配置で鎮座しており、春日神社鎮座地は紛れもなく古墳の上に鎮座しており、疎い人にも感じられる二ツ森の何とも言いがたい違和感。(少しおかしな雰囲気が漂っております。天神地祇の祭祀で張り巡らせた結界が狂ってきているのかもね。)何か隠されている感じが漂っておるのです。(´-`).。oO ワカンナイケドナ。
当地も古代阿波では重要な地域でした。旧麻植郡内にはありますが、なぜか吉本神社は忌部祭祀が感じられません。(雀獄は意識していると考えられますが。)ということで興味が湧いた方はぜひ現地参拝にて特異な雰囲気を体験して頂けたらと思います。埋蔵金、もしくはもっといい物を見つけられるかもですよ。ではでは。(・∀・)