恩山寺は誰を祭祀しているのか?
それでは恩山寺の伝承を下記引用からご確認下さい。
寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、當初は大日山福生院密厳寺と號する女人禁制の道場であったという。弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が本寺で修行していた際に訪問してきた母、玉依御前のために女人解禁の修法を行い迎え入れた。玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、空海が自身の像を刻み現在の寺名に改めたとされる。(Wikipediaより)
はっきりと申し上げましょう。
恩山寺に祀られているという玉依御前とは、和多都美豊玉比賣命の妹にあたる玉依比賣命のことなのでございます。
玉依比賣命とは
綿津見大神(海神)の子で豊玉姫の妹である。天孫降臨の段および鸕鶿草葺不合尊の段に登場する。トヨタマビメがホオリとの間にもうけた子であるウガヤフキアエズ(すなわちタマヨリビメの甥)を養育し、後にその妻となって、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波禮琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。
『古事記』および『日本書紀』の第三の一書では、トヨタマビメは元の姿に戻って子を産んでいる所をホオリに見られたのを恥じて海の國に戻ったが、御子を育てるために、歌を添えて妹のタマヨリビメを遣わした、とある。『日本書紀』本文では、出産のために海辺に向かう姉に付き添い、後にウガヤフキアエズの妻となった、とだけある。
第一の一書では、トヨタマビメが海の國へ帰る時に、御子を育てるために妹を留め置いた、とある。第四の一書では、一旦トヨタマビメは御子とともに海に帰ったが、天孫の御子を海の中に置くことはできず、タマヨリビメとともに陸に送り出した、とある。
はい。恩山寺に玉依比賣命が祀られていたことを示す文献は今のところ確認できておりませんが、間違いなく口傳として存在しております。
まず幼少の玉依比賣命が巫女として拠点にしていた場所が金磯弁天、恩山寺の奥之院であります。
金磯弁天に隣接する大神子・小神子の地名は、「大巫女」、「小巫女」の当字であり、大巫女とは和多都美豊玉比賣命、小巫女とは玉依比賣命を指す地名なのです。
勝浦町で毎年「ビッグひな祭り」を開催する根底にはこの様な背景があるのかもしれませんね。
と、まぁ玉依比賣命について書いてみた訳ですが、
この内容を例のごとくいつもの阿波女社祖系から考えて書くと更に複雑な内容になります。
よってこちらの詳細はまた別の機会に書こうと思っておりますが、ちょっとだけ触りを書きますと…
そして小松島・勝浦町で「壹与」は「豊玉姫」とされ、こちらが「和多都美豊玉比賣命」であると考えます。(従って天石門別豊玉比賣命は大宜都比売命=卑弥呼ですが、和多都美豊玉比賣命は伊予から連れてきた養女「壹与」であると考えます)
またこちらは考証できるようになった書く… かもしれません。(笑)それでは今回はこれにておしまい。