awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大宜都比売命の御馬石(神山町 神領)

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古より神石として尊信せるのみならず、その古伝と能く符号せるを見れば、即ち大宜都比売命の来臨の霊地にして、阿波の国 開開闢の原地と考えられるべし。

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神山町神領 上一宮大粟神社から南にある丹生というところに神代から伝わっている「御馬石」というものがあります。
口碑によると神代の昔、大宜都比売命が粟の国へ御来臨の時の遺跡で、即ち大神の乗用にあてられた神馬が化して石になったものと言い伝えられ、俗に御馬と称えて尊信されているのであります。
 
この御馬石は昔より阿波に伝わる数々の文献に記載され、多くの参拝者があったと伝わります。
 
●「丹生内有石、形似臥馬、名馬石。」(阿波志)
●「名西郡神領村の内白桃といふところに、馬石あり、其形は、彫りなせる馬の如し。大きさ常體の馬ほどなり。色は、薄黒く、河原毛に類す。尤も、鞍置馬にて、手綱まで粲にて、野中に乗り捨てたる形なり。」(阿州奇事雑話)
●「御馬石は、名西郡神領村御馬原といふところにあり、鞍鐙など、皆具して、膝を折り、伏し、見かへりたる形、少し遠ざけ見れば、誠に生けるかと疑はる。此所、野原ありしを、神石をかしこみて、木草を刈らず、自ら林をなし、遠方より今は見えざりし。即ち、近くに見るに、馬石の自然にして独座せり、首尾、鬣すぢなど妙なり。」(燈火録)
●「當村丹生内山へ大神御出あらせられる。(中略)其節、御馬に召され、候處、折節天火(をりふしてんか)にて、頻りに御馬近く山焼け来り、候に付、御召馬を石となし給ひける。
今、其名馬の姿に相顕はれ、これを御馬石と申し、唯今、舊跡に御座候云々。」(上一宮大粟神社 神官 阿部氏に伝わる舊記)
このように数々の文献に記されていた御馬石に興味が湧くのは私にとって必然。阿波開闢の地をこの目で実際に見てみようと現地の方に聞きこみを開始致しました。
 
が…しかし、いざ聞き込みを開始しても…
 
「昔、御馬石まで行ったことがあるが場所がわからない。」(60代 男性)
 
「もう道がなくなっているのでは?はるか50年前に行ったことがある。場所?わからん。」(60代 男性)
 
「わたし若いからわからん。もっと年配の人に聞いたら?」(70代 女性)
 
「すごく歩いて歩いて山の中に入った記憶がある…」(60代女性)
 
「他所から嫁いできたからわからんわ」(60代女性)
 
などなど、聞く人聞く人全員がハッキリした場所の回答が返ってきません。
 
文献にも「丹生ヶ山」、「御馬原」、「内白桃」、「東大久保」と地名がばらけているため絞り込むことができません。
 
ネットでも「御馬石」に関しては昔話として上記文献の内容が掲載されているだけで場所を特定することができませんでした。
今の時代の場所説明はひじょうに正確でわかりやすいですが、昔の伝承は筆者の感覚や、うろ憶えで記載されていることが多くてあてにならないことが今回でよくわかりました。
 
そんな状態のまま約一ヶ月…
時間を取れる時には神山町 神領に赴き、現地で聞き込みをしておりましたが収穫はなし。
 
しかし、、、救世主は突然現れたのです。(笑)
 
たまたまお寺で聞き込みをしていた時に仕事でその場におられたI原さん。(I原さんはたぶん神山町内でも旧家の家柄)
藁をも掴む想いでI原さんに質問を投げかけてみたところ、仕事柄神山町内のお年寄りと話をすることが多く「御馬石」の場所をお年寄りに聞いて場所がわかったら連絡します。との心強いお言葉。
わたしの何の利益にもならない探索に快く協力してくれることになったのでした。
 
待つこと一週間、「神山に○○っていう方がいますが、その人の家がある山が丹生ヶ山で… 」と連絡が入ります。
 
さらに一週間後に朗報が入ります。
「場所わかりました。○○に入り、○○の○○を目指して歩くこと15分、御馬石があるそうでーす!○○の○○に聞いたから間違いありません!」と特ダネを頂きました。(○○は個人情報のため伏せてます)
 
よし。 時は来た。。。
情報をもとに現地に踏み込みますと、、、
 
何ということでしょう… 目印の○○が各場所に散らばっており、どの場所から入山するか特定して絞り込むことができません。
とりあえず、一つずつ○○付近を確認するほか解決方法は考えられず、地道にポイントを攻めていくしかありません。
 
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神山の銅山跡、丹生ヶ山、その他の山と獣道は徒歩で網羅。一つずつそうであろうと思われるポイントをマップとにらめっこしながら潰していったものの三ヶ月間何の収穫ありませんでした。
 
 
そしてあきらめかけた本日、とうとうお目当ての「御馬石」を目の当たりにすることができたのです。
 
それはあまりに偶然の対面でした。場所は絞り込めたものの、ポイントに行く道程で野生動物しか通れないような傾斜角度、足元の土はすぐ崩れる細かい土で横方向の移動しかできない状態に陥ったのでした。仕方なく斜め横に移動しながら少しずつ高度を上げて峰を目指したのでした。
足元が崩れないようにカニ歩きで嶺まで歩くこと約20分、嶺の奥にある白いものが視野に入りました。
 
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ん… 白い祠が…
 
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まさか…
 
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祠の横にポニーが座っている…(笑)
 
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御馬石かも…
 
やりました。念願の御馬石と対面です。
御馬石の隣には昭和三十四年二月吉日建立…と刻まれている大宜都比売命と神馬をお祀りする祠。
 
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御馬原と呼ばれるには狭い原(窪でしょ)、人が行き来していたようには思えない場所です。
 
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(御馬石 さまざまな角度から撮影)
 
文献、地元情報、マップからの立地条件等、さまざまな角度から調査しましたが結局大きな山ひとつと小さな山一つ、谷二つを歩きまくってもわからない場所でした。
 
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(上一宮大粟神社)
 
よくよく考えてみれば広大な山中エリア内で2メートルほどの神石をあてもなく探したのはあまりにも無謀なことでした。
行けども行けども石が見つからないわたしは、当場所に立ち入る前に上一宮大粟神社に参拝し、「今日、御馬石が見つからなければ大宜都比売命の神威は認めない」と心に唱え、伝えてきたのでした。(笑)
それが功を奏したのか、はたまた偶然なのかはわかりませんが、アクシデントで導かれたかのように御馬石の鎮座する場所まで足を運んだのでした。
 
とりあえず個人的には長期に渡って現地探索した結果、大宜都比売命降臨の地、阿波の国開闢の場所を確認でき、とても満足して小走りで半分滑り落ちながら下山したのでした。
協力いただいたI原さんにも確認報告がまだなので、近いうちに連絡を入れなければなりません。きっと喜んでくれることでしょうね。
そして誘導してくれた大宜都比売命にはこの記事を書くことによって恩返しということになるのではないかと考えています。
 
 
さて、御馬石関連でさらに番外編。
以下のような昔話もあります。
氏神さんが神領の辺りを平定しようともて、勝浦郡の方からやってきた。ところが、土地のもんがよそのもんにこの土地を盗られてはたまらんと、あの手この手で防いだそうな。
氏神さんは今の「御馬石」まで進んできたが、ここからどうしても進めなんだ。ほんで、氏神さんは乗ってこられた馬に、「もうこのままではこっから進めれん。お前は石になれ」ちゅうて、愛馬を石にしてしもうた。ご自分は神さんなんで空を飛んで現在の「フルコーシ」ってとこへ降りられた。
氏神さんは高い空を体を震わせて飛ばれた。ほんでここは「フルコーシ」って言われるようになったんじゃ。
氏神さんはほれから大粟の山ん中で一人の木こりに会い、食べもんを求められた。木こりは弁当を木の葉に乗せたのを差し上げた。ほれから、木こりは氏神さんにお供えする役になったと。
氏神さんとは「大宜都比売命」のことでしょう。勝浦方面から山を登ってきたんですね。
 
ところで「フルコーシ」。この場所は現在、大久保の乳銀杏の手前にある「天皇さん」こと八坂神社。
 
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そして、ここにはミニ「御馬石」もあるんです。
見た目は仔牛っぽいです。こちらも地元の方からの情報提供で参拝できました。
ミニ「御馬石」は本家 御馬石を確認していれば石の色と造形のフォルムの共通点があるのでレプリカと判断がつきます。
 
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(フルコーシ 天皇さんこと八坂神社)
 
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(ミニ御馬石)
 
前に少し触れましたが、長国→神山→国府→大麻→鳴門のルートで大宜都比売命と丹が移動し、その先に紀州、安房、出雲が見えてきました。こちらも引き続きは調査したいと考えています。(次は○○古墳群と○○神社だな。)
 
 
さて、当ブログも開始して早一年。
まだまだ阿波ネタは有りますので急がず慌てずゆっくりと更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。