摂社からみた大麻比古神社 真の祭神(鳴門市大麻町 大麻比古神社)
阿波一宮 大麻比古神社御由緒
神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め 給ひその守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以て社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治六年国弊中社に列す。明治十 三年国費を以て本殿以下の造営が行はれ。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十 五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。
ご存知「大麻はん」は、いろいろな研究家の方がいろいろな角度で斬っています。
まずは摂社のご紹介から。
西宮社
水神社
中宮社
豊受社
丸山稲荷社
丸山社
山神社
それでは進めます。
最近は親切に社名と祭神が記入された表示板が設置されました。分かりやすいですね。
西宮社
こちらの社はなぜ「えびす(事代主神)」が不在なのかを考えてみますと母屋(本殿)と奥の別宅(本殿背後の山神社)のにいるからだと思ってしまいます。
水神社
祭神は「水波女神:水波能売命(みずはのめ)」。
一宮町 國中神社の祭神も水波能売命です。隠してました。(笑)
そしてこの神は水の神でありながら丹生の神。
何故この神がこの地に坐しますのかというと付近に萩原古墳群と鳴門 丹生神社があるからです。
中宮社
こちらの祭神は不詳とされています。
たぶん后神が明確になると主祭神もハッキリしますが、ここは あ、え、て、不透明にしているのでしょうね。( ̄+ー ̄)ニヤ
豊受社
その他、天石門別豊玉比賣命or玉依毘売命も比定神としても良いのではないでしょうか。
丸山稲荷社
稲荷社の祭神は倉稲魂。
倉稲魂は大宜都比売命の御子を集合させた神。(阿波志より)
またこちらは別で詳しく。
丸山神社
山神社
祭神は大山祇神(大山住神)です。
この大山住神にも関係がありそうな阿波の伝説があります。
橘朝臣はとは…
飛鳥時代末、県犬養三千代が元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」の氏姓を賜ったことに始まる。その子・葛城王が橘諸兄へ改名した後、諸兄の子孫は橘氏を稱した。諸兄は初め「橘宿禰」の姓を受け、その後「橘朝臣」の姓を賜與された。(Wikipediaより)
伊波底別神(いわとわけ:天石門別)の御系なるは犬をいふ事、犬大角彦佐別ノ命(イヌオホスミヒコサワケノミコト) 犬姫 犬飼 犬上の類ひにして當国の地名に犬何といふか聞ゆるも縁あることなり…(阿波國古義略考より)
上に引用した伝説は
大山住神が天日鷲命に取って代わられたことを暗示しているように思います。
よって大宜都比売命が后神となります。
本殿裏 左右両隅にはガッチリと阿波の国魂 大宜都比売命が固め、本殿の直線上 真後ろに真の祭神「大山祇神=事代主神」を配置して大麻山を背後に本殿を通り越し、本来祭祀されていた山神社、即ち 「事代主神」を拝むようになっているのでしょう。
きれいにまとまったかな。私の妄想。。。
あれ、猿田彦も祭神じゃないの?という方もいるのでしょうから私の解釈から補足を。
弥山神社
麻能等比古神社は「麻能等(まのと)」は「水門(みなと)」也とし、水門の神である速秋津比古(はやあきつひこ)命とする。(阿波志より)
こちらから推測すればもともとは岐(港)の神です。
『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』(以下、『日本の神々』)によれば、古くは室町時代成立の『大日本国一宮記』にあるように祭神は猿田彦大神とされ、文化12年(1815年)の『阿波国式社略考』にも見られるように、概して卜部系の考え方は猿田彦大神で統一されているのだと言う。『日本の神々』では、これに対し、神社・神主の側では享保14年(1729年)と宝暦4年(1754年)に郡代奉行へ「御神体猿田彦大神と崇め奉り候ふ儀、なおまた秘説これあり候へども・・・」と上書したように、猿田彦大神は大麻山山頂にあったのを合祀したもので本来の主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)であると、猿田彦大神を暗に否定して阿波忌部氏の祖神に付得する努力を続けてきたようだ、と述べている。『日本書紀』の神代巻では阿波忌部氏の遠祖は天日鷲命であるとし、『古語拾遺』では天富命(あめのとみのみこと)をして、天日鷲命の孫を率いて、肥饒の地を求めて阿波国に遣わし、穀・麻の種を殖わせしめたとしているが、『日本の神々』によると阿波国の国学者野口年長は、安房国下立松原神社に伝わる忌部氏系図から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(つくいみのみこと)と言い、その娘は千鹿江比売命(ちかえひめのみこと)であるとの説を提唱したのだと言う。明治時代以前は猿田彦大神と阿波忌部氏の祖の天日鷲命とされていた祭神を、明治以後は猿田彦大神と古伝に基づいた天太玉命としたが、『日本の神々』によれば、山口定実が忌部氏祖神説の傾向をさらに発展させて唱えた「天日鷲命は阿波忌部の祖先であるから、(忌部神社は)忌部の社または地名により麻植の命と申すのに対して、(当社は)太祖天太玉命を祀って大麻比古神と申す」との説が、現在の大麻信仰の基礎となっているのだと言う。同書では、神話において、天孫降臨に五伴緒の一人として随伴した天津神の天太玉命と、その行く手に現れた国津神の猿田彦大神は本来別系統の神であり、本質的には対立する関係の両神が同一社地に祀られている理由は必ずしも明らかではないと述べる一方で、猿田彦大神が祀られた事情を次のように推測している。
ちょっとこれは宿題とします。(補足にもならんw)
このように主要な神々は役職名、別の神名(〇〇神、またの名を…)で現されており、氏族単位でも伝承に変化があります。
何が正解なのかわかりませんw。
よって通説に拘らなくとも、いろんな視野や発想で考え、さまざまな文献からの情報を集約すれば自ずと繋がってくるもの。
そんな意味でこの大麻比古神社は特に重要な場所であると考えているのです。
今回は粟凡直一族の伝承を主軸にまとめてみたものですが、他の観点から考えると他の神になるかもしれませんね。それでは。