awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

神と鬼と龍がいた村(神山町)

今回は名西郡神山町のいい場所をご紹介

神山町は阿波の国そのものである「大宜都比売命」が降臨していた場所。
さらには卑弥呼天照大御神)、アジシキタカヒコネ、事代主命の后で天日鷲命の妹、阿波咩の伝承が残されている神が居住した地であります。

今回はいつもと違って阿波古代史の観点からは書いていません。阿波の民話から抜粋してみました。

まずは神山町 鬼籠野。
神山町鬼籠野(おろの)は鮎喰川の本流から南へ入った谷の鬼籠野川と大地谷川の流域に開けた集落である。
神山(かみやま)に弥生時代の遺跡があり、下分(しもぶん)字東寺(とうじ)から昭和の初め、平型と細型の銅剣が見つかっとる。字左右内(そうち)からも明治の初め平型銅剣が出とる。また、銅鐸が出とるから、神山町は早うから開かれたことが分かる。
鬼籠野には昔、里のもんを苦しめる悪い鬼が住んどった。ほんで、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫、藤原某(なにがし)が祈祷したところ、六方の神さんが天から降りてこられて、この悪い鬼を谷に追い込め、退治したんで、ほれからここを鬼籠野ちゅうようになったちゅうこっちゃ。
南北朝時代には尾呂野(おろの)といよったようで、いつ鬼籠野(おろの)とかわったんか、よう分からん。
おーしまい。
◆注釈
【ほんで】それで
【ほれから】それから
【ちゅう】という

鬼に籠の野と書いて「オロノ」。
という訳で神山町 鬼籠野にある神光寺に行ってまいまりました。(鬼籠野神社も今回掲載する候補にしていましたがまたの機会に。)

ちょうど赴いた時期のタイミングがよく、境内に咲く「のぼり藤」も鑑賞することができました。

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神光寺の山号は「鬼飯山 」。

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鬼を囲っていた場所の中のさらに鬼が飯を喰っていた場所ということですかね。
この神光寺、ちょっと気になっていることがあります。また調査していい結果が出てきたらご報告します。


これでは物足りないのでさらに神山町の奥へと進み、神通の滝に行ってきました。
神通の滝も昔話が伝承されています。

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時の徳川幕府より、阿波の国に神通滝なる名瀑ありしと聞くが何処の滝ならん。在処をつまびらかにいたせ。との御下命を拝した。
阿波藩蜂須賀家は、藩が蔵する古記録文献紐解き埃を払い調べれどもその名を目にすること能わず、窮した蜂須賀家は各地代官庄屋をば召しだして、草の根分けても神通滝を探し出せとの命を下した。
神山に粟飯原庄太夫なる庄屋ありて、彼も又神通滝探しに奔走していた。しかしながら見つけだすことかなわず、心労困憊した彼は一計を案じた。
神通滝探索中、名西郡中津名の相地谷に大竜飛、小竜飛と呼ばれる二滝あるを見い出したる庄太夫は、神山に神領なる地名のあることを幸いとし、大竜飛をもって神通滝と藩侯に復命したるところ、藩侯大いに喜び庄屋はお褒めにあずかったという。

これを読んで神領にほど近い「雨乞いの滝」の方がしっくりくるような気がしましたが… (笑)
雨乞いの滝の方が卑弥呼天照大御神)の居住跡に通じる場所にあるため、神通の滝に相応しいと思うのは私だけですか… 二つの滝もならんでいて大竜飛、小竜飛にも合致していいますので。。

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ややこしいので雨乞いの滝の写真は掲載していません。
掲載した滝の写真は全て神通滝です。

この滝は普段から水量も多く落差も十分にあり、滝壺の目の前まで進むことができるので見応えのある滝です。
きっと見にきた蜂須賀も満足したことでしょう。
さらにこの滝には龍や大蛇の伝説も残されており、今なお神気漂う場所であります。

この他にも神山町にはまだまだ興味深い場所があります。
神、鬼、龍拘らず機会を作って順次紹介していきたいと思います。