漁業の神 ゑびす大明神(飯谷 杉尾神社)
日露戦争の時にも九州の人では漁業ができずに阿波漁民が大挙手押しの櫓舟で朝鮮半島まで出かけたのは有名な話で、遠洋漁業ができる海人は限られた少数のみでありました。口伝による海流、風待ちと風すじを知る阿波の水子のみが海運と漁業を独占していたのです。
(沼江の長柱:飯谷 杉尾神社)
(長柱対岸の生夷神社)
これは沼江(ぬえ)の長柱(なごしろ)に生まれし「長柱の大人(なごしろのうし)」、転じて事代主命(ことしろうし)。上流の八重地をその名につけて「八重事代主命」と称す海人族の大王が、山分の天蚕より釣糸に使用する「てぐす」を開発したことより始まります。
この時より阿波では急速に一本釣り漁業が発達し、近世に至るまで我が国の漁業の指導を阿波人が行い、九州地方まで漁場をもつようになっていったのです。
(鳴門 明神町 大元神社)
次に鳴門の明神(あけのかみ)、堂浦(どうのうら)に居住した鳥鳴海神。この神をはじめとする海人族が古代からの「てぐす」を独占し、瀬戸内海、九州地方を、さらには朝鮮半島まで「てぐす舟」で駆け巡っていきました。
全国津々浦々、漁師が「ゑびす大明神」を奉祀するのはこのような経緯があったほかありません。