awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

あまがつぶ(天円山、天津神社、葛城神社)

「天円山(あまがつぶやま)」は、徳島県鳴門市にある山。別名は天ヶ津峰(あまがつみね)、天ヶ円。
地元民からは「あまがっつぁん」と呼ばれています。「天円山」の山腹には「猿の墓」と「猟師の墓」と呼ばれるお墓があり(お墓は古墳のうえ)、山頂には「天鈿女命」を祀る「天ヶ津神社」が鎮座しています。
 
それと天円山 南北麓には「葛城神社」が三社もあります。
 
この三つで話を進めてみたいと思います。
 
まずは「猿の墓」と「猟師の墓」から。
昔、樋殿谷の大猿が大麻比古神社の鐘を持ち運んだり、人々に危害を加えていたところ、播磨国の猟師が退治しに行ったが返り討ちにあってしまいました。
その知らせを聞いた猟師の弟が、この地を訪れ兄の仇を討ったという伝承が残され、「猿の墓」と「猟師の墓」は、その大猿の墓と猟師の墓ということです。
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そして山頂の「天ヶ津神社」では「天鈿女命」が祀られている。
 
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実はこの天円山の隣には峰続きで大麻山があります。大麻山の麓には阿波一宮「大麻比古神社」が鎮座しています。
 
大麻比古神社」の祭神は「猿田彦大神」とされています。
猿田彦大神」と「天鈿女命」とは夫婦であることは日本神話に詳しい人はご存知でしょう。
 
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これについても伝承が残されており、「大麻はん(大麻比古神社)」の猿が夜に「あまがっつぁん(天ヶ津神社)」のうずめのところに通った。
 
たぶん「猿田彦大神」が勧請された時に「天鈿女命」もセットで持ってきたんでしょう。
 
(しかし大麻比古神社が鎮座する以前に大麻山には「猿田彦」を祀る祠があったという伝承もある。)
 
前記に説明した「猟師に討たれた猿」と「うずめのところに通った猿」がリンクしているかどうかはわかりません。
 
それでは葛城神社のお話。
 
阿波 鳴門には三社の「葛城神社」があります。
北灘、大麻、姫田の「葛城神社」です。
 
まずは天円山の北側に鎮座している鳴門市北灘町粟田「葛城神社」の縁起。
後39代天智天皇、九州に御巡幸された時、天皇に随行され阿波を御通過の折、粟田の沖にしばし御逗留し、この浜に上陸され、渓谷にすむ鯉鮒の釣りの御慰みに御乗馬にて進みなされる途中、藤葛にて馬がつまづき神は落馬され呉竹の切株にて御眼を傷つけ眼病と成られ、その為神は天皇の御伴が出来ず永く粟田にて御養生され、この地の守護神として御自身眼病の苦しみを忘れる事なく、眼病の者を特に憐れみ給い、お救いなれされるとの御誓願により、粟田、大浦、宿毛谷、鳥ヶ丸の四ヶ村には馬を飼わず、呉竹と藤葛の生える事なく、鯉鮒育つことのないという不思議なる霊験により現在までもその煌々とした御霊徳のおかげを被る者枚挙に限りなく、神を仰ぎ奉る善男善女は願望成就すること広く知られる通りであります。
 
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本当にそうなんでしょうか…。
 
一部では「天智天皇が阿波から大和に行幸する際に落馬し目を負傷した。目の治療にあたったのは中臣鎌足である。」という伝承が残されています。
 
そして縁起文中にある「藤葛にて馬がつまづき神は落馬され…」とありますが、注文すべきは「藤葛」というキーワード。
 
列びは前後逆になりますが「葛藤」という言葉があります。
 
「葛藤」とは「藤原氏」と「葛城氏」の因縁から生まれた言葉。ちょっと引っかかります。
 
また、その他大麻、姫田の「葛城神社」では境内に古墳があったり、古代の遺物が発掘されています。
 
そして天円山一帯は特に重要な地域で、古代史に詳しい人は「萩原墳墓群」をご存知でしょう。
 
という訳で、古代から有力者一族がこの地で居住していたことは間違いなく、もう少し深く調査する必要があると思います。