awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

中王子は長王子?(石井町 中王子神社)

粟国造は粟(阿波)国(現・徳島県)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(10代)の時代、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の9世孫にあたる千波足尼(ちはのすくね)を国造に定めたことに始まります。

国造氏族は粟凡直(あわのおおしのあたい)と言われ、新編姓氏家系辞書で粟国造・粟凡直は粟忌部の宗家と書かれています。

 
徳島県徳島市一宮町にある阿波一宮神社の大宮司家である一宮氏は名方別(後の名方宿祢姓)、粟国造(後の粟宿祢姓)の後裔とみられています。
 
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徳島県名西郡石井町の中王子神社のご神体は、ごく一部の者に墓石みたいな物であるということだけは知られていました。しかし正体は分からないままだったのです。
 
平成二年十一月、これが県文化財に指定されてからその姿が知られるようになり、墓碑の材料は「せん」(粘土を固めて瓦状に焼いたもの)で、高さ二十八センチ、表面下部の側十三・四センチ、側面下部二十センチ、やや先細りの形をしています。
 
碑面に字が彫られとり正面第一行目に「阿波国造」、第二行目に「名方郡大領□□□」、第三行目には「粟凡直弟臣墓(あわのおおしのあたえおとおみのはか)」。
 
左側面第一行目に「養老七年歳次癸亥(ようろうななねんのとしみずのとい)」、第二行目に「年立」とあります。
 
養老七(七二三)年 阿波国名方郡長官(あわのくにのながたごおりちょうかん)の墓碑銘とわかったのです。
 
石井町 中王子神社には粟国造墓碑が貴重な史料として伝わり、粟凡直一族が古くより統治していたことを証明できるようになりました。
 
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このほかに石井町の中王子神社には別の伝承も残されています。中王子(なかおうじ)は「ながおうじ」の転訛とされ、もともとは日本武尊の御子 息長田別皇子を祭祀する祠ではなかったのかという内容です。
 
この息長田別皇子は阿波の君(阿波国豪族の長)祖とされ、母は現在では不明とされています。(下の文献には日本武尊妃 「弟橘姫 」と記載されている)
 
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石井町石井の「中王子神社」周辺は阿波の国を治めた一族が拠点としていたであろう場所。
 
時代が移るにあたり状況も変化して現在の国府町府中(こう)に移ったのでしょう。
 
この内容を書いたら息長田皇子の父、日本武尊を祀る石井町白鳥に鎮座「両国一社 白鳥神社」や、石井町尼寺(海城 あまぎ)を書かないと収集がつかなくなるのですが… 今回はこれまで。
 
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ちなみに明日から「中王子神社」はお祭りです。立派な屋台が町を練り歩きます。
天気が心配なところですが… それではまた。