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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

高越大権現と一宮大明神の争いから大宜都比売命の移動を探る(麻植郡 高越山・名方郡一帯)

名東郡 名西郡 日本一社 明神、大明神、権現、大権現 阿波の伝説 阿波の神社巡り 大宜都比売命
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さて、今年も残すところあとあとわずかになってしまいました。今年最後の投稿になります。
 
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(高越大権現 奥の院 蔵王権現
 
伊射奈美神社高越大権現
役ノ小角此峯ニ升リ伊弉冉神社ノ側ニ金峯山蔵王権現ヲ勧請有テヨリ河原吉野川□ト云フト此神ヲ役小角祭リ玉フユヘ七月十八日紀ノ大峯ノ例ニナラヒ高越山ニテモ紫灯護摩ヲ修ス
修験者多参拝ス其外詣ルモノ甚多シ俗ニ
此社ノ氏子ト一宮大明神ノ氏子ト婚姻ヲ結バスト云傳フ
(中略)
高越山古ヘ大峯になぞらへて四方□七月十八日には山伏先達子とうふもの多く升きり一宮村より入を第一の行場と定め上山道の間に高越へかよふ嶮岨あり 今に其名なせり
此元弘建武の比南朝の帝吉野山に世々の皇居あるを以て大峯へ行通ふこと成がたし□に小角の像あるを以て行者達過羊此山へ詣でしなり
 
江戸中期の文献からの高越山の伝承を抜粋しました。
 
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(高越大権現)
 
伊射奈美神社の側に役小角直々に蔵王権現を祀ったとあり、建武の頃には吉野山に登れないので高越山蔵王権現を詣でたとあります。
 
伊射奈美神社を高越山と指し示していることや、行者の出入りから天狗伝説の起こりとかに繋げると面白いのですが、ここは「修験者多参拝ス其外詣ルモノ甚多シ俗ニ此社ノ氏子ト一宮大明神ノ氏子ト婚姻ヲ結バスト云傳フ」を取り上げたいと思います。
 
 
それでは一宮大明神の伝承をみてみましょう。
 
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一宮町 一宮大明神)
 
過去に大宜都比売命 一宮神社の投稿で引用文に紛れさせていたので再掲載になります。
 
一社伝云。大阿波姫命 鹿に乗せられ伊予国大三島へ通はせ給ふ御使の鹿も伊予国に毎々通ひけるに女鹿は麻植郡にて殺されけるとぞ。殺人も神罰にて家断絶しけるとなん。故に一宮末社の中に鹿ノ社とてあり。 
大阿波姫命伊予へ通はせ給ふ折から高越の神と闘争し給ふ事ましまし互に石を投げ合給ふ中に立て御扱の神あり。
その石歯に中りて甚疼み給ふ故此後歯を疼むものは吾快くして得さすべしと宣ふ御誓ひにて、今に広野村行者野に歯辻明神とて小社あり。
投げ合いし石 入田村大畠と申所の山上に数万の河原石あり。この争の後は大三島への御通ひ路を深く忍び給ひ候由申伝候。
前に記す女鹿は殺された男鹿まで残り折々は神使に参りしを北方辺にて見たるものも有之由承候然れ共是等の事は神変にて是ぞと申慥なる証拠御座なく候。
高越神と一宮神と御争の証しと申は今に一宮氏子の者は高越参詣不仕勿論縁組等も不仕候。
 
こちらも過去に高越神と一宮大明神と争いがあったことが記されております。これは伊弉冉神一族と大宜都比売命一族との争いに仮定することができるのではないでしょうか。
 
記されている内容から、かなり一宮大明神の方が高越山の神からやり込められたように受けてとれます。
 
争いが沈静化した後にも大宜都比売命は行幸を続けたとありますが、深く偲び給い…とあり、高越大権現にとても遠慮していることが伺え… 、、、そして特化すべきは一宮大明神の氏子はその後、高越大権現の参拝は絶対に行わず、高越大権現の氏子との婚姻は不可とされたことです。これについては一宮大明神氏子のプライドの高さと根底に鬱積が浸漬し、その恨み(?)を代々継承していたと確認できるのです。
 
これを機会に一宮大明神は高越大権現との関わりを断っていたためか、大宜都比売命の痕跡は阿波の西部では一切確認できません。
 
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(上一宮大粟神社)
 
よってこの騒動をきっかけに艮(北東)の方角神山町神領の上一宮大粟神社から鬼籠野神社、そして一宮町の下一宮神社に移動していったと考えれば調査する範囲が特定できると思うのですが…
(気延山南側麓にある艮神社は上一宮大明神の鬼門封じの神社)
 
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(艮神社)
 
この段階で仮想するならば、鬼籠野経由で一宮大明神、天石門別八倉比賣に。
 
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そして同じく鬼籠野から佐那河内村 大宮神社・八万町 宅宮神社へと少なくともこの二つのルートから派生していったのではないでしょうか。
(宅宮神社の近辺に佐那河内村 大宮神社の常夜灯が現在も残されている)
 
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佐那河内村 大宮神社)
 
 
一宮大明神経由ルートでは上一宮大粟神社出入口にあたる重要な場所には船盡比賣神社(塞の神の役割)が鎮座しており、傍らの船戸川から鬼籠野まで舟を利用、そして鮎喰川沿いの道には国衙の跡が残されているように、神代の時代より人皇の時代として鮎喰川を利用した流通の拠点として発達した場所と考えられます。
 
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(入田町 謎の国衙跡?)
 
大宮神社ルートでは宅宮神社、即ちこの場所も大岐(大きな港)であり、八万から津田・小松島方面(津ノ峰)へ流れたと仮定できるのです。
(日峰神社の主祭神は大日孁神(相殿に少彦名と市杵島姫)ですか… ほほぅ)
 
もちろん全ての神々を大宜都比売命一族に当てはめて考えることはかなり一方的な考えです。まだまだ考える祭神の調査範囲を広げることが必要かとも思います。
 
前回の投稿で「大宜都比売命 亦の名は天石門別豊玉比賣命」と阿波女社系図にあることを提示しましたが、これに関連したことを発見しました。
 
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(東竜王竜王祠)
 
東西竜王山の竜王祠が北向きで配置され、その先にある気延山山頂(元 天石門別八倉比賣神社鎮座地)を意識されていること。
 
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(気延山山頂 天石門別八倉比賣神社元鎮座地)
 
佐那河内村 天岩戸別神社(天石門別豊玉比賣神社の元地伝承がある)も北向きである。
 
近辺で豊玉比賣(豊受大神)を祭神である祠、神社は全て気延山山頂(天石門別八倉比賣神社元地)に対面している配置となっていることがひじょうに気になっています。(朝宮神社や大宮神社は南向き鎮座なのになぁ… )
 
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(一宮城 明神丸 一宮大明神祠跡)
 
ちなみに一宮大明神元鎮座地 明神丸の祠跡も北向きの配置で上記と同じ条件です。
 
ともかく、阿波の国魂である大宜都比売命が神山町一宮町の範囲内から忽然と姿を消している…
 
来年はその痕跡を探しながら入田・佐那河内村の豊玉比賣命も絡めて大宜都比売命(阿波女社系)を率先して調査したいと考えております。
 
 
と、いう訳で今年最後に至っても何ら決定的なことを記載しないままの投稿になってしまいました。
来年もわかる人にはわかる、わからない人には全くもってわからない阿波の内容を投稿して行きたいと思う次第でございます。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。