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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

平康頼の墓(康頼神社)

徳島県吉野川市鴨島町森藤に「康頼神社」鎮座しています。今回は「平康頼」とその血脈について書いてみたいと思います。

治承元年、大納言藤原成親、法勝寺執行俊寛等と平清盛の専恣を憎んで、密かにこれを滅ぼそうと謀って事露れ、成親の子、成経及び俊寛と共に硫黄島に流された。
「平康頼」は翌年赦されて成経と共に歸ったが、後に此地の一町地と共に其時の諸具、悉く麻植郡森山村大字森藤に埋葬せられてあるということである。
 
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「かのやすよりは、もと、阿波の國の住人。人としなさけもなきものなりけり共、諸道にこころえたるものにて、君にもちかく召仕はれまゐらせて、検非違使五位の上までになりけり。末座に候ひけるが、召出されけるも、時にとりて面目とぞみえける。云云。」(長門本平家物語 鹿ノ谷繪合の條)
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平康頼没。その後…  
 
承久の乱で康頼の嫡男・平清基は後鳥羽上皇方に味方して敗れ、麻殖保の保司職を解任されました。
 
平を名乗る2人は百姓となることで辛うじて生存だけは許されたました。しかし、百姓が平姓を名乗って行く事までは許されず、一人は木邑(現・木村)を名乗り、他の一人は田室(現・田村)を名乗ったそうです。

天保の大飢饉大塩平八郎の乱に加わった木村司馬之輔の本家である木邑権右衛門も同じ木邑姓を名乗っており、大塩の檄文は幕府の取り締まりを逃れ全国に広まり、尊皇攘夷派の天狗党として結集させ討幕へと繋げて行きました。

この天狗党に多くの木邑氏が加わっていたようで、その為に木邑氏は幕府方から命を狙われたそうです。大姓であった木村氏を詐称して平である事を隠し幕府方の追跡を逃れたのです。

田室氏もまた大姓であった田村氏を詐称して平である事を隠し幕府方の追跡を逃れました。

幕末には多くの木邑氏が天狗党に加わり凄惨な殺し合いが行われ、幕府方により斬首されたり獄死をするなどして多くの犠牲者を出し義民として靖国神社に合祀をされています。

このように阿波の国でも平の血脈は繋がり、今でも姓を変えて存在しているのです。

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