「伊魔離神」は何の神?(伊魔離神社)
「天石門別八倉比賣大神御本記」より。
于時在神名於者伊魔離神止白天此野爾生採五百箇野薦八十玉籖雑々乃幣奉流(其採野薦地者謂五十串野其奉饗地者謂美阿閇野謂髪狭野止)是與利西乃方杉乃小山乃麓爾到利給者石門別神迎来天敬禮啓須
時に名を伊魔離神という神が現れて、この野の五百個の野薦(多くの小竹をいう)、八十玉籖(玉串のこと)などいろいろ御幣る(たてまつる)。
これより西の方の杉の小山の麓にたどりついたとき、石門別神が迎えられて礼を尽くされた。
伊魔離神は阿波国の國津神とみえたり。
名西郡矢野村矢取の社より一丁ほど東に道より少し北に小社あり。
これ伊魔離の神を祭る小社なり。
この野に生るとは小竹笹の類いの多く生える所と見えたり。
五百箇野薦は多くの小竹をいう。
五百は数の多きをいほと言うなり。
当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。
(境内案内板より抜粋)
一部で偽書とも云われている「八倉比賣大神御本記」ですが、御本記に記されている地名が地元の方だけに伝承されていることは確かです。
出てくる神も摂社の祭神として今現在も祀られています。
個人的には大地主神、木股神、松熊二神、広浜神は目星がついていますが「伊魔離神」だけはわかっていません。
「伊魔離神」も一般に浸透している別の神名があるはずです。
まずはそれを理解しないことには古代史を読み解くことはできません。
「亦の名を…」とあればそこに注意です。